人間は、国家繁栄のためにギセイになってはならぬ――坂口安吾の警告・・・【情熱的読書人間のないしょ話(731)】
ツバメが卵を温めています。先日、山梨のモモ農園を訪れた際、読売新聞・甲府支局の若い記者から取材を受けるというハプニングがありました。彼からその時の写真が送られてきました。モモ農園が土産として持たせてくれたモモの枝が次々と花を咲かせています。大分以前に購入したガーデンシクラメンが庭の片隅で久しぶりにかわいい花を付けています。因みに、本日の歩数は10,487でした。
閑話休題、『安吾のことば――「正直に生き抜く」ためのヒント』(藤沢周編、集英社新書)の全ページに亘り、坂口安吾の痛烈な批評精神が横溢しています。
●人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。不幸なものだ。なぜなら、死んでなくなってしまうのだから。自分一人だけがそうなんだから。銘々がそういう自分を背負っているのだから、これはもう、人間同志の関係に幸福などありやしない。それでも、とにかく、生きるほかに手はない。生きる以上は、悪くより、良く生きなければならぬ。[教祖の文学]
●人間の喜怒哀楽も、舞台裏の演出家はただ一人、それが死だ。人は必ず死なねばならぬ。この事実ほど我々の生存に決定的な力を加えるものはなく、或いはむしろ、これのみが力の唯一の源泉ではないかとすら、私は思わざるを得ぬ。[暗い青春]
●人に無理強いされた憲法だと云うが、拙者は戦争はいたしません、というのはこの一条に限って全く世界一の憲法さ。[もう軍備はいらない]
●戦争にも正義があるし、大義名分があるというようなことは大ウソである。戦争とは人を殺すだけのことでしかないのである。その人殺しは全然ムダで損だらけの手間にすぎない。[もう軍備はいらない]
●革命だの、国家永遠の繁栄のため、百年千年の計のため我々がギセイになる、そういうチョットきくと人ぎきのいい甘ッチョロイ考え方がナンセンス、又罪悪であり、人間はギセイになってはならぬ。[新カナヅカイの問題]
●個人の自由がなければ、人生はゼロに等しい。[戦争論]
●戦争と云えば戦争、民主主義と云えば民主主義、万事お上にまかせてクルリと変るばかりで、犬のように従順であるというだけ、その軽薄な気質が現下の秩序のもとで、そしてそういう人々に限ってやたらに道義とかなんとか他人のお行儀のことばかり気にかける。つまり自分がないからである。自省がない。自分の力で物を本当に考えてみる、それがないのである。[男女の交際について]
●好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一の条件だ。[続堕落論]
死を見据えよ、戦争の正体を見抜け、国家の繁栄より個人の自由を――安吾の言葉は、敗戦直後だけでなく、現在の日本人にも警告を発しているのです。