人間の運と実力を考える・・・【MRのための読書論(139)】
父と娘
私が、その著作物のみならず、その生き方も含めて尊敬しているのは、松本清張と井上ひさしである。最晩年のひさしが、次女・綾と5年間に亘り交わした往復書簡をまとめた『井上ひさしから、娘へ――57通の往復書簡』(井上ひさし・井上綾著、文藝春秋)は、ひさしの考え方と行動が窺われて、興味深い。
綾が、自分で書いているように、「三人姉妹の、まん中で、一番のはぐれ者」、「今だからこそ白状すると、私はいつでも、嫌なことや苦手なことから逃げる、現実を避けるのが得意な子供」だったから、ひさしは、「元気に明るく働いてください」、「生きる練習をつづけてください」、「長く生きることには大きな意味があります」という思いを込めて、手紙を綴り続けたのだ。「この『往復書簡』は、父が亡くなる5カ月前まで(父はこの時、肺ガンの末期であったのです)、息苦しさや、体力もなくなっていく中で、三人姉妹のまん中の私に書き綴ってくれたものです」。
理想と現実
ひさしの小説にも登場する神父の言葉は、若き日のひさしに大きな影響を与えたのである。「高校1年の春に、わたしにカトリックの信仰について教えてくださった近くの教会の主任司祭のカナダ人神父さんは、わたしが悩みを打ち明けるたびに、厳しい口調でこう説くのが常でした。『あなたの前には、あなたがどう頑張っても解決できない現実がひろがっている。その前に立ちすくんでくよくよ悩むのはやめなさい。あなたの悩みはすべて、あなたの脳が作り出しているんですよ。つまりあなたは自分で悩みを作り出して、その悩みを自分で悩んでいるだけなんです。脳の仕組みを変えれば、つまり気持の持ち方、ものの見方を変えれば、その悩みは消えてなくなりますよ』。・・・もう一つ、この神父さんに教わったことがあって、それはいまもわたしのものの考え方の基本になっていますが、それはこうです。『まず、いまいる場所での、自分の理想の姿を思い浮かべる。次に、いまの自分の現実の姿を正直に見つめる。第3に、その理想の姿と現実の姿とのギャップを埋める行動計画をつくる。最後に、その計画を実行に移す。これが成長するということです』」。
読書とテレビ
「『忙しい忙しいといって、本を読まないこと』。こういう人に限ってテレビを日に3時間も観ている。ドンと構えてしっかりよい書物を読む。そのことで、コトバの力と思考力が養われますし、この2つこそは人生を切り拓くための最良の武器なのです」。
死と生
「わたしたち人間の芯に、その中心に、『死と終わり』が居座って、毎日、少しずつ、しかし確実に、その領土をひろげている。地上のすべてのものが『死と終わり』という大きな時間に支配されている。どうせ『死と終わり』がくるなら、それを前提に生きて行くことにしよう。そうするとまず、現在の自分が抱え込んでいる欲望は、みんな取るに足りないことだと分かります。次に、自分に与えられた限りある時間を、できるだけいとおしんで、大切に使うしかない」。
運と実力
「(74歳を目前に控え)身体機能はゆっくりと衰えていますが、驚いたことに、そしてまったく予想に反して、頭の働きは、以前より活発になってきています。記憶力そのものは落ちていますが、人生という不可解なものがはっきりと見えるようになりました。その点では、長く生きることには、とくに70代を生きることには大きな意味があります。ですから長生きの機会を奪うものがあれば、戦争であれ事故であれ悪しき医療制度であれなんであれ、命がけで止めなければならないと、ひときわ強く思うようになりました」。
「なかでもすばらしいのは、人間の運について、まとまった考えがもてるようになったことです。たとえば、短期的には、ツキのある人とツキのない人がいるように見えます。そしてわたしたちはツキのある人をうらやましがる。けれども長い目でみると、一時の運は消えてしまっていて、やはりその人の『実力』が現われてくる。年をとると。そのことがよく見えてきます。いま、『実力』といいましたが、正しくは、人柄や、性格や、努力や、日々の生活でのふるまいかたや、生きることへの誠実さや、他人のことを考える心の広さなどなど、そういったものの総和が、ここでいう実力です」。
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