「生命史上の大進化はどのようにして起きたのか」という大テーマに挑戦した意欲作・・・【情熱の本箱(393)】
『進化の技法――転用と盗用と争いの40億年』(ニール・シュービン著、黒川耕大訳、みすず書房)は、「生命史上の大進化はどのようにして起きたのか」という大テーマに挑戦した意欲作である。
「(ここ20年のさまざまな技術)革新を経て、私たちは今、画期的な瞬間に立ち会っている。地層や化石にDNA技術を組み合わせれば、ダーウィンと同時代の人々が頭を悩ませた第一級の問いのいくつかに迫ることができる。DNAを研究すれば、協力、転用、競争、盗用、争いに彩られた数十億年の生命史が露わになるだろう。その歴史は、他ならぬDNAを舞台に繰り広げられてきたものだ。動物の各細胞内にあるゲノムは、自らの仕事を代々こなしながらも、ウイルスの絶えざる侵入と構成要素どうしの内戦に遭い、かき乱されてきた。そうした攪乱の所産として新たな器官や組織が誕生し、さらには、生物の体に起きたそうした発明によって世界は変わってきたのだ」。
数多くの研究が紹介されているが、私は敢えて3つの研究に注目した。
第1は、アンドリュー・ガーキーの研究である。「本当の驚きは魚のヒレに潜んでいた。ある日の深夜、ガーキーはその遺伝子群の魚のヒレにおける発現パターンを調べ、1枚の写真を撮った。すると、その写真は『ニューヨークタイムズ』紙の一面を飾った。理由はいたって単純で、その写真が大変な事実を物語っていたからだ。マウスやヒトの手の形成に必須の遺伝子群は、ただ魚にも存在しているというだけでなく、ヒレの骨格の末端部にある骨、すなわち鰭状の形成に関わっていたのだ。ヒレから肢への進化を調べると、あらゆるレベルで転用の起きていることが分かる。手足の形成にあずかる遺伝子群は魚にも存在し、ヒレの末端部をつくっているし、ハエなどの動物では同類の遺伝子群が体の末端部の形成に関わっている。生命に大変革が起きるのに、新たな遺伝子、器官、生活様式が一斉に発明される必要があるとは限らない。古来の特徴を新たな用途に使い回すことで、子孫に大いなる可能性が開けることもある。古来の遺伝子を改変したり、使い回したち、あるいは取り込んだりすることが進化の燃料になる。遺伝的なレシピがゼロから生まれないと、体内に新たな器官が誕生しないわけではない。既存の遺伝子や遺伝子のネットワークを棚から引っ張り出し、改変することでも、まったく新しいものを生み出すことができる。この『古いものを利用して新しいものを生み出す』という現象は、生命史のあらゆる階層に見られる。遺伝子そのものの発明さえ、その例外ではない」。
第2は、バーバラ・マクリントックの研究である。「トウモロコシのさまざまな実で、染色体上のどこに位置しているのかを細かく調べてみた。すると、驚いたことに、その破断しやすい領域がゲノム内をピョンピョンと跳び回っているではないか。このたった一つの発見から、遺伝学史上に残る重要な考えが導かれた。ゲノムは静的なものではない。遺伝子はあちこちに跳躍できるのだ。・・・その後、1977年になって、他の研究施設が細菌やマウスに(というより彼らが調べたすべての種に)跳躍遺伝子が存在する証拠を発見した。もう一つの驚きがもたらされたのは、研究者らが自らのゲノムを調べた時のこと。なんとヒトゲノムが跳躍遺伝子に乗っ取られていて、全体の70パーセントほどを占拠されていることが分かったのだ。跳躍遺伝子はむしろ主流の存在であり、例外などではなかった。・・・マクリントックは、跳躍遺伝子を発見した功績が認められ、1983年にノーベル医学生理学賞を受賞した。・・・ゲノムは退屈で静的な存在ではない。絶えず活発にかき乱されている。遺伝子が重複することもあるし、ゲノムがまるごと重複することもある。遺伝子は自らのコピーをつくりながらゲノム内をあちこち跳び回っている。・・・ゲノムでは、盗用が原動力となって、数えきれないほどの遺伝的発明が誕生してきた。・・・生物界でも攪乱が革命をもたらす。動物の細胞は何億年にもわたって攪乱を受け続けてきた」。
第3は、ジェイソン・シェパードの研究である。「Arcは中空の球体だった。・・・シェパードは、医学部進学課程に通っていた頃に、この球体と似たものを見たことがあった。その球体の構造は、一部のウイルスが細胞から細胞へと感染を広げる際につくるものとそっくりだった。・・・シェパードのチームは、遺伝学者の協力を得て、Arc遺伝子の配列を特定し、動物界のゲノム・データベースを検索して、Arcを持っている動物が他にいないかを調べた。そうして、Arcの配列と動物界での分布を追っていくうちに、太古に起きた感染の物語が見えてきた。陸棲動物が漏れなくArcを持っていた一方で、魚は持っていなかった。つまり、約3億7500万年前にすべての陸棲動物の共通祖先のゲノムにウイルスが侵入したということだ。・・・ウイルスが宿主に侵入すると、ある特別なタンパク質、つまりArcの原型を産生する能力がもたらされた。このタンパク質は、通常なら、ウイルスが細胞間を移動し拡散するために使われていた。しかしこの時は、ウイルスが魚のゲノムに侵入した際の位置の関係で、タンパク質が脳で発現するようになり、宿主の記憶力が向上した。ウイルスに感染した個体は、生理機能の向上という恩恵に浴したわけだ。ウイルスは、乗っ取られ、無毒化され、飼い慣らされて、宿主の脳で新たな役目を担うことになった。私たちが読み書きをこなせるのも、日常の場面を記憶することができるのも、魚が初めて陸地を踏みしめた際に太古のウイルスが侵入してきたおかげなのだ。・・・ゲノムは静的なヒモではなく、絶えずねじれたり曲がったりしながら、ウイルスに侵略されたり、他の遺伝子に跳び回られたりしている。遺伝的な変異は、ゲノムの全域に、あるいは多様な生物種に拡散しうる。ゲノムの変化が急速に起きることもあるし、似たような遺伝的変化が種々の生物で独立して起きることもあるし、多様な種のゲノムが混合し、融合して、新たな生物学的発明をもたらすこともある」。
進化に興味を抱く者にとって、数々の驚きに満ちた、読み応えのある一冊である。