飯田蛇笏の生涯を辿り、その剛直な力強い俳句を味わう本・・・【情熱的読書人間のないしょ話(842)】
散策中、橙色のハイビスカス、桃色のハイビスカスを見かけました。サンパラソル・アプリコットの花は白色、ほんのりと淡い桃色、赤色とヴァラエティに富んでいます。因みに、本日の歩数は10,448でした。
閑話休題、『飯田蛇笏』(石原八束著、角川書店。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)によって、飯田蛇笏の生涯と作品を詳しく知ることができました。
「俳人飯田蛇笏(だこつ)は明治18年に山梨の田舎に生まれ、後に俳句という詩歌の分野において土着の文学とも言うべき強い個性の俳句を打ち立てるとともに、時代の俳句の局面を新しく現代に転換した俳家である」。
「俳句の分野で、自然主義を、碧梧桐一派の新傾向とはまた別に、有季定型を守った新俳句として独自な個性をもって生かしきった」。
「『蛇笏の特色は一言にしていへば<力>の俳句である。その<力>は作風の荘重蒼古たるところにある。何か圧力的な重さが十七音の中にひそんでゐて、誦する者にのしかかつてくる味である』と加藤楸邨がいい、『現代俳人の中で、堂々たるタテ句を作る作家は、氏を措いて絶対に無い』、『他に類例のない重厚淳朴の調子を確立してゐる』と、山本健吉も言葉を重ねて言うとおり、句風の剛直な力強さを認めることにおいては、まず異論があるまい。その力強い句風が蛇笏の剛直な気骨からきていて、どこか近づき難いほどの品格を形成している。その剛直な気骨はまた甲斐という山国のきびしい風土と無縁には語られないこと、そうして更にこの剛直な句風がいつしか蛇笏の身についた漢文調の語脈を主軸にした発想表現によっていよいよ頑くななまでに孤立していること、等々を考えると、蛇笏作品の力はその孤高の主観の強さでもまたあることを疑う人はないだろう」。
芥川龍之介が、写生の意味について、「第一のは子規が写生を主張した当時の意味で、周囲の自然をその儘句にすること。第二の意味は、周囲の自然を的確に掴む。――的確につかむために第一の写生より、内面的になつてゐること、例へば石鼎俳句が殆どすべてそれであること。第三の写生には、その対象を外から内へ移して、作者自身の心もちを直下に描き出すといふ意味があり、蛇笏氏が大正の初期に書いた『霊的に表現されんとする俳句』の主張がこの第三の写生である」と述べていると紹介されています。
ここで、私の好きな句を挙げておきましょう。
●竈(くど)火赫ツとただ秋風の妻を見る
●雁に乳張る酒肆の婢ありけり
●寺妻(だいこく)を恋ふ乞食あり烏瓜
●死病得て爪美しき火桶かな
●寒灸や悪女の頸の匂はしき
●口紅の玉虫いろに残暑かな
●水浴に緑光さしぬふくらはぎ
●けふもはく娑婆苦の足袋のしろかりき
●降る雪や玉のごとくにランプ拭く
「剛直な好奇心の犠牲が大きければ大きいほど、詩魂にうける傷痕もまた大きいのだ。その落差の大きさに自らの心骨をけずり、一片の詩型に凝って、句作60年、ひたすら詩魂をみがきつづけた執念の深さにおいて、蛇笏ほどの俳家を先にも後にも私は知らない」。
蛇笏が実践した主観写生は、俳句の本質を見据えた「生命のうた」だというのが、著者の結論です。