モーツァルトと妻・コンスタンツェとの関係の真実・・・【情熱的読書人間のないしょ話(847)】
雨がしとしと降っているので、散策を諦め、好きなヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのCDを聴きながら、『モーツァルトの人生――天才の自筆楽譜と手紙』(ジル・カンタグレル著、博多かおる訳、西村書店)を読みました。この大型本は、モーツァルトの人生を彼の自筆楽譜、手紙や肖像画、絵画を多用しながら丹念に辿っています。
「本書で見えてくるモーツァルトの顔は、たえず動き回り、情熱をもって音楽活動に没頭していた人間の顔だ。だが同時に、(時にはくだらない)冗談やおいしいものが好きで、愛するコンスタンツェとビリヤードにうち興じる、人間愛に満ちた人だった。栄光に包まれていた時も悲しみに沈んでいた時も、才能ある作曲家たちの仕事に感動し、決して慎重になったり怖じ気づいたりすることなく人生を歩んだ。この作曲家の姿が、死後、しばしば歪められたり理想化されたりしてきたことは否めない」。その点、本書では、モーツァルトという生身の人間が正確に、愛情を込めて再現されています。
モーツァルトは結ばれることを望んだ女性に受け容れられず、その妹のコンスタンツェ・ヴェーバーと結婚します。「彼女は20歳、彼は26歳だった。・・・結婚生活に時々暗雲がたちこめることがあっても、家の中が混乱しても、考えられないほどの浪費をされても、モーツァルトはコンスタンツェと強い絆で結ばれ、深い愛情を捧げつづけた。ついには彼女と本物の夫婦になったのである。最後の頃、コンスタンツェがバーデンに湯治に行っているときに書いた手紙すべてに、妻を細やかに気遣う夫の気持ちが表れている。・・・6人の子供を産んでくれたいとしい妻にモーツァルトが最後まで抱いていた深い愛情は疑いようがない。たとえ、妻が時には軽薄で、その天才的な夫が子供っぽい、あるいは自由奔放で浮気っぽい行動を取ることがあったとしても」。この6人の子供のうち、育ったのは2人だけでした。
モーツァルトは、結婚に反対する父への手紙に、こう書いています。「ぼくの愛するコンスタンツェの特徴をもっと詳しく知っていただかなければなりません。彼女は醜くはありませんが、けっして美しいとは言えません。彼女の美しさは、ふたつの小さな黒い瞳と、すらりとした体つきに集約されています。機知はありませんが、妻として、母としての役割をこなすに足りる健全な判断力をもっています。浪費家なんてことはありません、まったくの嘘です」。モーツァルトって、かなりいい奴ですね。
「博識なスヴィーテン男爵のおかげでモーツァルトは(ヨハン・セバスティアン・)バッハのフーガを発見した。モーツァルトにとって、それは大いなる啓示だった。モーツァルトはすぐさまバッハの対位法を研究し始め、それを糧に、自分の音楽言語を一気に豊かにした。バッハの音楽のおかげで、モーツァルトの音楽は骨組みがよりしっかりし、前から探し求めていたがいまだ成熟しきっていなかった重厚さを備えるようになったのだ。バッハの対位法の影響が深く刻まれた『魔笛』に至るまで、モーツァルトの音楽はそれ以前とすっかり様相を変えた」。これまた私の好きなバッハからモーツァルトが大きな影響を受けていたとは、嬉しいことです。
これだけでなく、モーツァルトはバッハの末子で20歳年上のヨハン・クリスティアン・バッハと長期に亘り親しい関係を結び、音楽上の影響を受けています。
「親子のようで兄弟のようでもある、お互いの信頼と尊敬に基づいた友情が、モーツァルトと、その父であってもおかしくない年のヨーゼフ・ハイドンを結びつけていた。この友情は、音楽史の中でもっとも美しいエピソードの一つである」。
「モーツァルトはいとも簡単に曲を書く才能を持っていたと語り継がれているが、実際のところそれは、時間をかけて心の中で音楽を練り上げた結果だった」。
「モーツァルトの人柄の根本にあってあまり知られていないのが、彼の冗談好きな性質だ。一般の子供と同じように、小さい頃のヴォルフガングは遊びが好きだった。そして陽気で、悪ふざけや大笑いをしたがる性格は、一生変わらなかった。人をからかったりおどけたりする癖が抜けず、娯楽好きで、九柱戯やビリヤードや射撃などに打ち興じた」。
「彼は母語だったドイツ語の他に、フランス語、イタリア語、英語を話し、ラテン語も知っていた」。
未完成の「クラヴィーアに向かうモーツァルト」の肖像画と、コンスタンツェの肖像画を見ていると、二人は彼らなりに幸せだったのだということが実感され、ホッとします。