米原万里が「打ちのめされるようなすごい本」とは、いったいどんな本だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(859)】
念願だった、大型で腹部が水色に輝くギンヤンマの雄の撮影に、遂に成功しました。撮影後、彼の縄張りに戻してやりました。その縄張りには、大きなキノコが生えています。因みに、本日の歩数は10,815でした。
閑話休題、パワフルな書評家・米原万里が「打ちのめされるようなすごい本」とはどういう本なのか興味津々で、書評集『打ちのめされるようなすごい本』(米原万里著、文春文庫)を手にした次第です。
「打ちのめされるようなすごい小説」として、友人の若き小説家から薦められた『夜の記憶』(トマス・H・クック著、村松潔訳、文春文庫)が挙げられているので、これが凄い本なのかと納得しかけてしまいました。ところが、次に読んだクックの『心の砕ける音』の佳境に差し掛かったところで、「もっと打ちのめされるようなすごい小説を、しかも日本人作家のそれを」思い出したというのです。その小説は、『笹まくら』(丸谷才一著、新潮文庫)なのですが、米原に、「情景や登場人物たちの微妙な心理の綾やその空気までが伝わってくる。と同時に、国家と個人というマクロな主題が全編を貫いている。徴兵忌避に実際に踏み切る直前まで逡巡し思索を重ねた(主人公の)浜田が到達した結論『国家の目的は戦争だ』は、世紀を隔てた今も切実に響く。作品全体を通して日本と日本人の戦後が、冷静に穏やかに洞察される」とまで言われては、『笹まくら』を読まないで済ますわけにはいきません。早速、私の「読むべき本」のリストに加えました。
このような道案内をするとは、書評家としての米原は、自然体のようでいて、なかなかの策士かもしれません。
米原の薦め上手のおかげで、『文学部をめぐる病い――教養主義・ナチス・旧制高校』(高田里惠子著、ちくま文庫)、『趣味は読書。』(斎藤美奈子著、平凡社)、『魏志倭人伝の考古学』(佐原真著、岩波現代文庫)、『恋と女の日本文学](丸谷才一著、講談社文庫)、『ピョートル大帝の妃――洗濯女から女帝エカチェリーナ一世へ』(河島みどり著、草思社)も、読みたくなってしまいました。
巻末の井上ひさしの解説は、書評の本質を喝破しています。「ここに一冊の書物があり、だれかがそれを読む。書物の芯棒になっている考えやその中味を上手に掬い出すのが要約であり、この要約というのもだいじな仕事だが、書評にはその上に、評者の精神の輝きがどうしても必要になってくる。評者と書物とが華々しく斬り結び、劇しくぶつかって、それまで存在しなかった新しい知見が生まれるとき、それは良い書評になる。・・・すぐれた書評家というものは、いま読み進めている書物と自分の思想や知識をたえず混ぜ合わせ爆発させて、その末にこれまでになかった知恵を産み出す勤勉な創作家なのだ」。著者と評者とが衝突して放つ思索の火花の美しさに読者は酔うのだというのです。