榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

平安末期、時の権力者から「名にし負う醜女」が命じられた使命とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(866)】

【amazon 『悪左府の女』 カスタマーレビュー 2017年8月31日】 情熱的読書人間のないしょ話(866)

夏休み最後の日、雨の公園は静寂に包まれています。カボチャの黄色い花が雨粒を宿しています。

閑話休題、『悪左府の女』(伊東潤著、文藝春秋)を読み始めたところ、一気に読み通してしまいました。平安末期の藤原摂関家の衰退期、武士階級の勃興期という史実の上に、著者の想像力によって肉付けされた絵巻の世界が大輪の花を咲かせているからです。

その怜悧さと冷酷さから悪左府(あくさふ)と呼ばれる左大臣・藤原頼長と、腹違いの兄・藤原忠通との摂関家内の権力争いは、近衛天皇の皇子を頼長の養女・多子(皇后)と忠通の養女・呈子(中宮)のどちらが先に産むかという勝負に焦点が絞られてきています。

多子が11歳と未だ幼いため、12歳の天皇が20歳の呈子が住まう邸に通うことが多いことに危機感を抱いた頼長が考え出したのが、名にし負う醜女(しこめ)を天皇に侍らせて子を身籠らせ、その男児を多子の養子にしようという奇策です。近衛天皇が醜女好みという情報を手に入れていたからです。

その役割にぴったりの女として選ばれたのが、下級貴族の娘で、醜女として知られていた24歳の春澄栄子です。

「『そなたは、わしからは逃れられぬ。逃れたければ、帝の子を身ごもるほかない』。・・・『よいか。そなたはわが手札だ。そなたの身も心も、そなたの物ではない。わが物なのだ。そなたは悪左府の女だ。それだけは忘れるな』。その場にくずおれて泣く栄子を見下ろしつつ、頼長は残忍な笑みを浮かべた」。

栄子は琵琶の名手でもありました。体質が虚弱な天皇も無類の楽器演奏好きだったことから、二人の心が通い合うようになります。

頼長の作戦は、どういう結果を招くのでしょうか。

頼長は保元の乱の一方の首謀者として、政治の渦の中に巻き込まれていきます。

私がこの小説に引きずり込まれたのは、頼長の奇策の行方だけでなく、栄子の醜女ぶりにも興味を惹かれたからです。

「一瞬の沈黙の後、感慨深そうに頼長が言った。『風聞通りの醜女よのう』。『申し訳ありません』。栄子が身を固くする。醜女かどうかは、個々の顔立ちによるのではなく、顔や姿形の類型的な分類によって決まる、つまり栄子のように色黒で背が高く、目鼻立ちがはっきりしている女性は、一様に醜女とされた。その一方で、最も理想的な女性像としては、身長は高くても五尺(約152センチメートル)、髪の毛は直毛で、顔の色は白ければ白いほど喜ばれ、頬は下膨れがよいとされた。さらに目は細く切れ長で、鼻は小さく低く、唇は薄く、体全体がふっくらしていれば申し分ない。『実によく伸びた手足だ。小さな顔に二重の大きな瞳、高い鼻、はっきりとした頬の線。話に聞いた通りだ。何といっても、その小麦のように浅黒い肌がよい』。栄子が恥じ入るように身を縮める」。

栄子を見た他の男は、栄子にこのように語りかけています。「その黒檀のように艶やかな髪、湖水のように澄んだ瞳、しなやかな手足。わたしは以前、天竺(インド)の絵を見たことがあるのですが、かの国では、あなたのような方を美人と呼びます」。

時代によって、国によって、美人か否かの基準がこれほど異なることに複雑な思いを禁じ得ません。もし、現代の日本に栄子が登場していたら、どうなっていたでしょう。