これは読まなければと思った本が、3冊見つかりました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1582)】
パパイアが緑色の実をたくさん付けています。囃子太鼓の音が盆踊りを盛り上げています。因みに、本日の歩数は10,774でした。
閑話休題、書評集『本棚から読む平成史』(岡ノ谷一夫・梯久美子・牧原出著、読売新聞社文化部編、河出書房新社)では、私が既に読んだ本も多く取り上げられています。
その一方で、これは読まなければと思った本が、3冊見つかりました。
第1は、柳田邦男著『犠牲(サクリファイス)――わが息子・脳死の11日】です。この書評には、「脳死の息子との対話から問われる『人の死のかたち』」というタイトルが付けられています。
「長く心の病に苦しんでいた25歳の息子が自死を図り、搬送先の病院で脳死を宣告される。著者は意識のない息子の傍らで、その苦しみに思いをはせ、ともに過ごした時間を振り返り、彼が遺した日記を読む。・・・平成22年には改正臓器移植法が施行された。『死を大事にしない医療は荒廃する』と著者はいう。脳死から心停止に至る時間を、死にゆくものと対話し、受容し、納得して臓器提供を決意する環境は果たして整っているか。著者が提起した問題はますます重要度を増している」。
第2は、小川洋子著『博士の愛した数式』です。「80分しか続かない記憶が導く、『日常』が放つ光」が描かれているというのです。
「この本は、心に静けさを宿している人たちの物語。主人公の数学博士は、交通事故で脳をやられ80分しか記憶を維持することができません。だから家政婦の『私』とは、きのう会ったばかりでも初対面。毎朝玄関先で、『君の靴のサイズはいくつかね』などと、数字に関する同じ質問をします」。
第3は、カズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』です。「記憶そのものへの懐疑 寓意と幻想が描く現代の不安」がテーマです。
「舞台は中世のイングランド。ベアトリスとアクセルという老夫婦が息子を探して旅をする。ところがこの夫婦、息子についての記憶が定かではない。顔も背恰好も年齢も思い出せない。息子がいることについては、二人とも漠然とそんな気がしているのだが。この物語は、記憶を持つこと、忘却することの不安を描いている。・・・小説の舞台はあえて中世に置いているが、イシグロの不安は極めて現代的である」。
意識したわけではないのに。読みたい3冊とも記憶に関する著作になってしまいました。