榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

男女の間でも、性愛以外の愛が存在可能なことを信じられるようになりました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1609)】

【amazon 『博士の愛した数式』 カスタマーレビュー 2019年9月13日】 情熱的読書人間のないしょ話(1609)

東京・新宿の神楽坂の善國寺では毘沙門天が祀られ、珍しい石虎が鎮座しています。程近い文京の小石川後楽園は、静寂に包まれています。厚い雲に遮られ中秋の名月が見られないので、掛け軸で我慢。因みに、本日の歩数は10,986でした。

閑話休題、数学が苦手な私は、『博士の愛した数式』(小川洋子著、新潮文庫)を長らく敬遠してきたが、ある人から読む価値がある作品だよと薦められ、遂に手にした次第です。

1992年3月、家政婦紹介組合から派遣された家政婦の「私」は、赴いた家の老婦人から、「端的に申せば、記憶が不自由なのです。惚けているのではありません。全体として脳細胞は健全に働いているのですが、ただ、今から17年ほど前、ごく一部に故障が生じて、物事を記憶する能力が失われた、という次第です。交通事故に遭って、頭を打ったのです。義弟の記憶の蓄積は、1975年で終わっております。それ以降、新たな記憶を積み重ねようとしても、すぐに崩れてしまいます。30年前に自分が見つけた定理は覚えていても、昨日食べた夕食のメニューは覚えておりません。簡単に申せば、頭の中に80分のビデオテープが1本しかセットできない状態です。そこに重ね録りしてゆくと、以前の記憶はどんどん消えてゆきます。義弟の記憶は80分しかもちません。きっちり、1時間と20分です」と告げられます。

ここから、私と息子が「博士(はかせ)」と呼ぶ、64歳の数論専門の元大学教師と、一人で子供を育てている30歳前の家政婦の私と、私の10歳の小学生の息子「ルート」との奇妙な日々が始まります。「ルート」というのは、頭のてっぺんが平らだからと、博士が息子に付けた愛称です。「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号、ルート(√)だ」。

健康のために少しは外気に触れた方がいいと考えた私は、嫌がる博士を何とか散髪屋に連れ出します。「白髪が束になって滑り落ち、床に散らばった。散髪屋の主人はその白髪に覆われた頭蓋骨の中身が、1億までに存在する素数の個数を言い当てられることなど、知らないだろう。目の前の奇妙な男が早く帰ってくれないかと待っているソファーの客たちも、誰一人として、私の誕生日と腕時計に隠された(数字の)秘密を知りはしないだろう。そう考えると、なぜか誇らしい気持になった」。

「(その後、訪れた公園の地面に博士が描いた)アルティン予想の難解な数式と、28の約数から連なる足算は、反目することなく一つに溶け合い、私たちを取り囲んでいた。数字の一つ一つがレースの編目となり、それらが組み合わさって精巧な模様を作り出していた。不用意に足を動かし数字を一つでも消してしまうのがもったいなくて、じっと息をひそめていた。今、私たちの足元にだけ、宇宙の秘密が透けて浮かび上がっているかのようだった。神様の手帳が、私たちの足元で開かれているのだった」。

博士から与えられた宿題を息子が投げ出してしまったため、仕方なく私が引き受ける羽目になりました。「最初はただ鬱陶しいだけだったのが、意地が出てきて、やがて思いがけず使命感さえ抱くようになった。この数式に隠された意味を知っている者は限られている。その他大勢の人々は、意味の気配すら感じないで生涯を終える。今、数式から遠く離れた場所にいたはずの一人の家政婦が、運命の気紛れにより、秘密の扉に手を触れようとしている。あけぼの家政婦紹介組合により博士の元へ派遣された時から、既に誰かが放つ一条の光を受け、特別な使命を帯びているのだと、自ら気づきもしないままに・・・」。

「この世で博士が最も愛したのは、素数だった。素数というものが存在するのは私も一応知っていたが、それが愛する対象になるとは考えた試しもなかった。しかしいくら対象が突飛でも、彼の愛し方は正統的だった。相手を慈しみ、無償で尽くし、敬いの心を忘れず、時に愛撫し、時にひざまずきながら、常にそのそばから離れようとしなかった。書斎の仕事机で、あるいは食卓で、私とルートに聞かせてくれた数学の話に、たぶん素数は一番多く登場しただろう」。

「『義弟に友人などおりません。一度だって友人が訪ねてきた例しなどないんです』。『ならば、私とルートが最初の友だちです』」。

「彼(博士)はルートを素数と同じように扱った。素数がすべての自然数を成り立たせる素になっているように、子供を自分たち大人にとって必要不可欠な原子と考えた。自分が今ここに存在できるのは、子供たちのおかげだと信じていた」。

「彼(博士)の心の根底にはいつも、自分はこんな小さな存在でしかないのに・・・という思いが流れていた。数字の前でひざまずくのと変わりなく、私とルートの前でも足を折り、頭を垂れ、目をつぶって両手を合わせた。私たち二人は、差し出した以上のものを受け取っていると、感じることができた」。

本書のおかげで、男女の間でも、性愛以外の愛が存在可能なことを信じられるようになりました(数学を好きになることはできませんでしたが)。本書を薦めてくれた友に感謝しています。