夫婦とは何かを考えさせられる小説・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2846)】
ジョウビタキの雄(写真1、2)、セグロセキレイ(写真3)、ハクセキレイ(写真4)、キジバト(写真5)をカメラに収めました。
閑話休題、『かんむり』(彩瀬まる著、幻冬舎)は、夫婦とは何かを考えさせられる小説です。
「結婚してはや三年。(中学の同級生としての)出会いからはもう十年以上」。「疲れたらひたすら一人で眠りたい」私・光と、「疲れたらセックスをしたくなる」29歳の夫・虎治。
「細かな衝突を繰り返して痛手を負い、私の口調からは力みと棘が抜け、(34歳の)虎治もいつしか幼稚な虚勢を脱いだ。二人とも、大人になって少しずつ変わった。――変わってよかった、と本当に思う」。
「いつからだろう。二十代の頃はなにも考えずにふれていた夫の体が、最近はとても遠い。まるでさわりたいと思わない。私には理解できないことわりで動く、不穏な異物に見える。八月の第二週から、(9歳の息子)新の夏休みが始まった。・・・わけがわからない。どうして虎治は(新のスイミングのことで)こんなにも時代錯誤で抑圧的なことを言うんだろう。ただそう教えられたからというより、なんらかの確信の上で言っているように見える。目が――疲れ切って、ぎらぎらと不穏に光る充血気味の目が、多少熱に浮かされてはいても正気に見えた」。
「(虎治に)言われた内容が、すぐに頭に入ってこなかった。体の温度がすっと下がる。今年の春、虎治は四十歳になったばかりだ。・・・加々見虎治の肉体を満たしていたわかりやすく明るい力――経済力や安定性、名の知れた企業に勤めている肩書といったものが抜け、(リストラされた)彼の胸の真ん中にぽっかりと、底の見えない穴が空いているように見えた。その穴に、吸い込まれそうな恐怖を感じた」。
「働き始めてもう二十年近く経つけれど、女性がシングルインカムで支障なく稼いで家族を養っていくイメージが持てない。それができるのは一握りの優秀な女性だと思ってしまう。そして私は、才覚も根性も大したことのない普通の女性だ」。
「長く店舗に勤めた社員は、定年までに三年くらいは本社業務に就かせる、というのが昨今の人事の流行りだ。私の異動もその文脈だろう。四十代の半ばから腰痛を患っていたため、店舗から一時であれ離れられるのはありがたかった。・・・新の学費はなんとかなったが、老後の資金が心もとない。しっくりこないなりに無理のない範囲で、細く長く働き続けねば」。
「(再就職した会社をストレスに耐えかねて2年で退職した)虎治が地元の寝具メーカーに就職してもう五年になる。・・・(夕食後、体に怠さを感じて横になっていたソファから)起き上がって華やかな香りが漂うマグカップを(虎治から)受け取り、手を温めながら紅茶をすする。隣に、五十を過ぎた夫が座った。髪の半分ほどが白くなり、遠目にはグレーに近い髪色に見える。・・・てのひらで大きく背中を撫でられる。気持ちがいい。優しくさわってもらうと力が抜ける。二十年以上同じ空間で一緒に過ごしてきたせいか、最近では虎治の肌をまるで自分の肌のように感じる。香りやぬくもり、手ざわりが近く、自分ではない他人にさわられているという感覚が薄い」。
「海を見ると、夫が、彼の肉体の王だった頃を思い出す。それはきっと、彼が手首に絡みつく最後の心残りをほどいたのが海だったからだ。七十歳だった。まだ自由に歩いていた。ただ、彼の父親が亡くなったときと同じ病気をすでに患っていた。そう長くはない、と医者に伝えられた私たちは、恐怖を紛らわそうと頻繁に旅行をするようになった。あまりお金はかけられず、近場の海や山、温泉や果樹園をめぐってばかりだったけれど、いい時間だった。音楽を聴き、落ち着いておいしいものを食べた。その頃の私たちは、人生で一番仲が良かった」。
「虎治が(この世に)いないこと。新が(外国から)戻らないこと。友人が一人また一人と亡くなっていくこと。幼児の頃に数度会ったきり、孫たちにももう十年近く会っていないこと(そろそろ高校生になるはずだ)。だからといって海をまたいで会いに行くような気力も貯金もないこと。渦を巻いて頭の内側をひっかく思考の一つ一つを、輝く海に溶かして忘れる」。
「愛する時間が終わったのだ。うまくいってもいかなくても、愛は素晴らしくて、でもとても難しくて重たい一事業だ。どのようなかたちであれ、ともかくそれが終わった。始まったものをきちんと終わらせた。祝ったっていいんじゃないか」。最終章に至り、この言葉に出会えて、ホッとしました。