マンネリズムを毛嫌いするなというユニークな提言・・・【情熱的読書人間のないしょ話(277)】
秘湯巡りは楽しい。長野の、雪上車で辿り着いた標高2,000mの高峰温泉のランプの湯――ランプの灯 心も温まる 雲上の湯。長い石段を下りた先の松川溪谷沿いの、男女が混じる大露天風呂――瀬音背に 温泉談義 冬露天。志賀高原熊の湯ほたる温泉の濃い緑色の湯――真冬日に 密林の湯か 緑濃く。松代温泉の色も成分も濃厚な黄金色の湯――冬日差す 腕さえ見えぬ 黄金の湯。角間温泉の大自然に包まれた小さな黄金色の露天風呂、外気温は-3°C――黄金色 雪と青空 溶け込む湯。個性的な温泉に出会うと、平坦な日常に非日常の窓が開く。
閑話休題、『マンネリズムのすすめ』(丘沢静也著、平凡社新書。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、ドイツ文学者のエッセイ集ですが、「マンネリズム宣言」には興味深いことが書かれています。
「中年になって私ははじめて、からだを動かす喜びに目覚めた。といっても、『より高く、より速く、より強く』をめざす競技スポーツとはちがう。記録や勝敗とはまったく無関係に、ひとりで、だらだらと走ったり泳いだりするだけだが」。
「バッハは自分の音楽に、ヴィヴァルディやヘンデルなど他人の曲を借用した。他人の曲よりもはるかに多く、自分の曲を自作に転用した。新しい歌詞や別の楽器を当てはめて仕立て直した。くり返しは、からだの喜びを知った人間にとって、ごく自然の作法である」。バッハは、マンネリズムを恐れず、愛した、マンネリズムの達人なのです。
「たいていの現代人は、マンネリズムを嫌う。マンネリズムを恥ずかしがる。大急ぎで否定すべきものだと思い込んでいる」。
「私は、マンネリズムにひたることを提案したい。マンネリズムの醍醐味がからだでわかるようになれば、しめたものだ」。
「マンネリズムだというだけで、すぐに毛嫌いするのではなく、とりあえず、いいマンネリズムと悪いマンネリズムの区別をしよう。いいマンネリズムは、気持ちがいい。マンネリズムの重ね着が好きな私は、厚地の綿のスポーツソックスをはき、私のジョギングシューズの定番であるブルックスのパーセプションに足をつっこんだだけで、もう、うれしくなってしまう。マンネリズムは恥ずかしくない。具合の悪いマンネリズムだけを改めればいい。定番のウエアであれ、定型の表現であれ、銀座伊東屋のオリジナル・カレンダーであれ、正しいマンネリズムは、余計なストレスを除いて、生活を楽にしてくれる。いわば日常の屋台骨だ。マンネリズムに耐えるのではなく、どれだけたくさんのマンネリズムを楽しんでいるか。それが、小さな幸せの尺度となる」。著者は、無駄なエネルギーを使わないのが、いいマンネリズムだ、例えば、綺麗に舗装された平坦な道を自転車で走る、あのリラックスした快感がそうだというのです。