榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

西郷隆盛との談判による江戸無血開城の立て役者は勝海舟か、それとも山岡鉄舟か・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3033)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年8月7日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3033)

我が家の頭上で、キジバト(写真1)が鳴いています。マンデヴィラ(写真2~4)が咲いています。

閑話休題、西郷隆盛との談判による江戸無血開城の立て役者は定説どおり勝海舟だったのか、それとも噂される山岡鉄舟だったのかを知りたくて、『勝海舟の真実――剣、誠、書』(草森紳一著、河出書房新社)を手にしました。

山岡鉄舟を崇拝する内弟子・小倉鉄樹が作成した「山岡鉄舟先生年譜並其時代」の明治14年の項には「次のような特記事項がある。『此の年、勲功調査あり、鉄舟、功を海舟に譲る』とある。これは、どういうことであろうか。とりあえず、江戸無血開城における勝と西郷の会談をめぐっての『功』であろう、としておく」。

海舟が迷った末、賞勲局に提出した「筆記」を賞功局の役人が鉄舟に見せてしまいます。「『維新における西郷との談判始末を書いて、徳川慶喜恭順の旨趣を体し、四箇条の朝命を奉じ、之を実行したことなどが載っている』。『こりゃ変だ』と山岡も思ったらしい。『これは虚構(うそ)だ、俺がやったのだと云ってしまへば、勝の顔は丸潰れになる。よしよし勝に花を持たせてやれ』と、咄嗟に決心する。『むむ、この通りだ』と、勝の功績録を肯定したと鉄樹の『山岡鉄舟を語る』の中にある。勝海舟自筆の『功績録』そのものを見ないと、なんともいえないが、鉄舟海舟どちらの側にも立たぬ私などの目からすれば、勝海舟がまるまる嘘をついているともいえぬ。ただ山岡の存在そのものを抹殺してしまっているらしいことが、問題なのである。だが、海舟側からすれば、『どうせ山岡鉄舟も勲功録を筆記するか口述するのであってみれば、合わせれば一つになるはずであり、とりあえず自分の立場で書いておいたのだ』といいはることができぬというわけでもない。ただ、鉄舟びいきのものの側からすれば、手柄の独り占めということにもなる。・・・死後の名声は、どちらもあるが、江戸の無血開城を導く西郷と勝の会談という歴史上の名場面ということからすれば、まちがいなく鉄舟の存在は脱落しているのである」。

「ともかく、山岡鉄舟は、自分の功をいっさい語らず、そのまま帰ってしまったのである」。そのことを賞勲局総裁・三条実美から聞いた岩倉具視が鉄舟を私邸に呼びます。「『ときに山岡さん、維新の際の西郷との一件は、ありゃ君がやったように思って居たが、賞勲局の調書には勝さんがしたようになっているといふことだけれど、ありゃ一体どっちがほんとなのだ』と岩倉は、ズバリと鉄舟にきいた。『山岡は一寸(ちょっと)困った』と鉄樹は語っている。・・・『実は勝からあの様な書類が出てゐたので、勝の面目の為め自分は手を退(ひ)いた』と正直に答えている。・・・『当時の事実を詳記してくれるように』鉄舟に懇望したという。山岡は承知した。それは岩倉のみに提出するものだったらしいが、のちに『この草稿が岩倉さんの<正宗鍛刀記>の材料となった』と鉄樹はいう」。

本書を読んだ限りでは、海舟が江戸無血開城の名場面から鉄舟の存在を消し去ってしまったのは事実のようだが、鉄舟を崇める鉄樹の証言が多用されていて、一方の海舟の応援者は不在というのではいささか不公平ではないかと、海舟ファンの私には思えるのです。