榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

バス事故で意識を失った青年を見捨てて消えた美女・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2853)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年2月7日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2853)

リュウキンカ(写真1)が咲いています。因みに、本日の歩数は11,938でした。

閑話休題、『任務――松本清張未刊行短篇集』(松本清張著、中央公論新社)に収められている『鮎返り』は、「足立温泉に向かうバスが途中で大事故を起した。運転を誤って丈余の崖から顛落したのであった。・・・警官と、バス会社の係員とが、病院で収容された負傷者の身許を調べたが、一人だけ身許がわからない人間がいた。それは二十八、九の青年で、頭を強打して意識を失っていた。彼には荷物らしいものはなく、洋服のポケットを探ったが、身許を証明するような品は出て来なかった」と始まります。

「『そういえば、あの綺麗な女の人は知り合いではなかったのか。てっきり、この青年とアベックだと思ったが』という者が現れた。すると、それに同じ意見をもつ者が四、五人つづいて同じことを言った。『それはどんな婦人でしたか?』という警官の問いに、彼らは口を揃えて、『二十七、八の洋装の似合う美しい女の人でした。S駅でこの青年がバスの切符を二人分買っていたとき、その横に添っていました。二人は睦じそうに話ししたり、笑い合っていたので、夫婦か恋人同士に見えました。あの女の人は、どうしてここにいないのですか?』と言った。・・・その同伴者と思われる女は、早速、調査してみると、S駅に引き返した組であることがわかった。彼女の負傷はきわめて軽く、指をすりむいた程度だったことも知れた。『すると、やっぱり同伴者ではなかったのだろう。同伴者なら、それほどの重態な人間を無関心にしてひとりで帰れるわけがない。多分、青年とは汽車の中か、駅で知り合ったくらいの、行きずりの間であろう』という観測に決定した」。

「青年は二日目に昏睡から醒めた。部屋を不思議そうに見廻し、何かを考える風であったが、突然思い当たったように、ベッドから跳び起きるようにして、『奥さん、奥さん』と二度呼んだ。『誰もいないよ』と傍にいた医師が教えた。・・・『重傷者の中に、僕の伴れの人はいませんでしたか?』。『どんな人かね?』。『二十七、八の、洋装の女の人です」。『あの人は、やっぱり君の伴れだったのか?』と医師は、青年の眼をのぞき込んだ」。

「青年は、訊かれても、自分の素性をはっきり言いたがらなかった」。

推理小説っぽく始まったが、やがて、実は一捻りされた恋愛小説であることが分かってきます。松本清張は恋愛小説も、なかなか巧みですね。