魅力が失せた45歳の妻が若者と情熱的な恋をしていたと知った夫は―― ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1841)】
フレンチラベンダー、エリカ・レギア(ロイヤル・ヒース)、キンセンカ、マツバギクが咲いています。あちこちで、さまざまな色合いのヒアシンソイデス・ヒスパニカ(スパニッシュ・ブルーベル、シラー・カンパニュラータ)、ヒアシンソイデス・インスクリプタ(イングリッシュ・ブルーベル)が咲き競っています。両種はよく似ているが、ヒスパニカは茎が直立して、どの方向にも多くの花を付けるのに対し、インスクリプタは茎が曲がり、一方向に花を付けます。そして、インスクリプタの花の数はヒスパニカより少なめです。レッドロビンが蕾をたくさん付けています。間もなく、白い花を咲かせることでしょう。
閑話休題、『モーム短篇選(下)』(サマセット・モーム著、行方昭夫編訳、岩波文庫)に収められている『大佐の奥方』は、人生の機微に触れた味わい深い作品です。
舞台は、第二次世界大戦が勃発する2、3年前のイギリスのシェフィールドから30kmほど離れた田園地帯です。50歳を少し越えたジョージ・ペリグリンは第一次世界大戦で勲功を挙げた陸軍大佐で、現在は、東京ドーム130個分の土地を所有する地主として広大な邸で暮らしています。子供が出来なかったので、妻との、執事に傅かれる優雅な生活です。
妻のイ―ヴィは結婚当初は可愛かったが、「今は老けてきて、もうじき45になる。肌はくすんだ色になり、髪はつややかさを失い、ひどく痩せてしまった。今でも身だしなみがよく、常によく似合う服装をしていたが、自分の外観には関心が薄いように見える。化粧はしないし、口紅もつけなかった。・・・普段は、そう、少しも人の目を引かぬ女だった」。
妻に小包が届いたことで、妻が結婚前の名前で詩集を出版したことを知り、詩集のページを繰るが、文学的素養のない大佐には、よく理解できません。
大佐はロンドンに、金髪で色気がある35歳の女・ダフネを囲っているが、ダフネから思いがけないことを尋ねられます。「『ねえ、ジョージ。皆が噂している本を書いたのは、あなたの奥さん?』。彼女が聞いた。『一体全体、どういう意味だね?』。『それがね。あたしの知り合いに批評家がいるのよ。この間の夜、食事に連れていってもらったらね、その人、本を持っていたの。<わたしが面白いと思うような本ないかしらね。その本はなあに?』とわたしが言うと、彼は<これは君の趣味じゃないだろうな。詩だよ。書評を頼まれて読んでいるところだ>。それでわたしが<詩はごめんだわ>というと、彼は<これまで読んだこともないすごくセクシーな本だよ。飛ぶように売れている。しかもすごく優れた作品だ>っていうのよ』。『著者は誰なんだね?』。『ハミルトンっていう女性ですって。それは本名じゃないってさ。本名はペリグリンだって言うのよ』」。
その後、大佐はあちこちで、その本を称賛されるが、「一つだけ気になることがあった。彼が紹介された人々が自分のことを妙な目つきで見るような気がするのだ」。
そこで、大佐は妻の詩集をじっくり読み直します。「語られている話は首尾一貫しており、どんな鈍い頭の者にも理解できた。それは、年長の人妻と青年との激しい恋の物語だった。ジョージ・ペリグリンは、その恋の出会いから終わりまでの段階をまるで簡単な足し算をしているように辿ることが出来た。第一人称で書かれているその本は、ある盛りを過ぎた女性が、若者が自分を恋していると知ったときの、おののくような驚きから始まっている。彼女は最初それを信じるのをためらった。自分の勘違いだと思った。ところが突然自分が彼を激しく恋していると気付いたときには、恐怖を覚えた。馬鹿げていると自分に言い聞かせた。年の開きがこんなにある以上、もし彼女が自分の感情に負けてしまったら、不幸以外の何も残らないに決まっている。彼女は若者が愛の告白をするのをやめさせようとした。でも遂に、彼が愛を告白し、彼女も彼への愛を素直に告白する日がやってきた。彼は一緒に駆け落ちしてくれと懇願した。彼女は夫を、家庭を捨て去ることは出来ない。それに私は年老いてゆく女なのに、あなたはとても若いのだから、どんな未来が二人にありうるというの。あなたの愛が長続きするとどうして期待できるかしら。無理はいわないでよ。彼の愛は性急だった。君が欲しい、僕の全身全霊を挙げて君が欲しい。とうどう女は、震えながら、恐れながらも、自分もそう望んだので、彼に身を任せた。それから恍惚とした幸福な時期が訪れる。平凡だった日常の世界がにわかに栄光につつまれ、輝きはじめる。彼女のペンから愛の賛歌が湧き出る。女は愛人の若いしなやかな肉体を賛美する。若者の幅広の胸、ほっそりしたわき腹、脚の美、平らな腹を女が称えたとき、ジョージは怒りに燃えた。セクシーだとダフネの友人が言っていた。その通りだ。胸がわるくなる」。この情熱的な恋は、何と、若者が唐突な死を迎えるまで、3年間も続いたのです。
「ジョージ・ペリグリンがようやく読み終わり、本を置いた時には、もう午前3時だった。どの行にもイーヴィの声が聞こえるように思えた。彼女が使うのを聞いたことのある言い回しに何回も出くわした。家族しか知らないような身近な事柄がいくつも出てきた。疑いの余地はない。これは彼女が実際に経験したことを書いたのだ。イ―ヴィが不倫をし、相手が死んだ、というのは火を見るよりも明らかだ」。この後、ジョージがどういう行動を取ったか・・・。
「『納得いかぬことが一つある。相手の青年は、一体全体イーヴイなんかのどこがよくて惚れたのかな?』」というジョージの台詞で終わっているところが、いかにもサマセット・モームらしいですね。