アメリカの田舎町で敗北者たちが織りなす人生模様・・・【山椒読書論(500)】
ある識者が、シャーウッド・アンダースンは19世紀文学から現代アメリカ文学への橋渡しの役割を果たした重要な作家だと述べているのを知り、慌てて、その代表作、『ワインズバーグ・オハイオ』(シャーウッド・アンダースン著、橋本福夫訳、新潮文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を読んでみた。
オハイオ州のワインズバーグという架空の町に住む人々を主人公とした25の短篇から成っているが、訳者が言うところの「なんらかの挫折を味わった人たち、心のどこかに傷をおっている人たち、時代の敗北者、孤独者、田舎町の絵画的人物、要するに、内的な屈折を経て、かみしめれば味わいが出てくるような人物」たちが、時代の変化についていけず寂れゆく田舎町の雰囲気を巧まずして醸し出している。
例えば、30歳の女教師、ケイト・スイフトの場合。かつての教え子、ジョージ・ウィラードが本を借りに先生宅を訪問する。「彼が帰ろうとして背を向けると、彼女はそっと彼の名を呼び、衝動的な動作で彼の手をにぎった。新聞記者は急速におとなになりかかっていたので、彼の男性としての魅力の何かがこの少年の本来の人好きのする性質と結びついて、孤独な女の心をかきたてたのだった。彼に人生というものの意義を理解させてやりたい、それをありのままにまがいなく解釈することを学ばせてやりたい、という熱烈な欲望が彼女をおそった。彼女は前かがみになり、唇が彼の頬をこすった。その同じ瞬間に、彼は彼女の容貌のきわだった美しさに初めて気がついた。二人ともとまどい、彼女は気持をまぎらせようとして、わざと荒々しい横柄な態度をとった」。その後、嵐の夜、地元の小さな新聞社の暖かく狭い編集室で、「彼女は教師だったが、同時にまた一人の女性でもあった。ジョージ・ウィラードを見ていると、今迄に幾度となく彼女の肉体に嵐のようにおそいかかってきた、男性に愛されたいという烈しい欲望が、彼女をとらえた。ランプの明りのなかでは、ジョージ・ウィラードももはや少年ではなく、男性の役割を演じる用意のある一人の男性のように見えた。女教師はジョージ・ウィラードが彼女を抱くままにまかせた」。しかし、・・・。
読み終わって、識者の見解が納得できた。