榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

本は、「なぜ?」「どうして?」と考えながら読もう・・・【情熱的読書人間のないしょ話(899)】

【amazon 『死ぬほど読書』 カスタマーレビュー 2017年9月30日】 情熱的読書人間のないしょ話(899)

私が幼児期から22歳まで暮らした東京・杉並の荻窪を巡る散歩会に参加しました。60年ぶりに訪れた田端神社は秋の気配に包まれています。境内に、享保6(1721)年の銘のある青面金剛が置かれています。住宅街の一角では、宝暦6(1756)年の銘がある馬頭観音が祀られています。昭和6(1931)年に建てられた西郊ロッヂングは高級下宿屋でした。角川庭園の水琴窟は、風情ある絶妙な音響を楽しむことができます。ススキの根に寄生するナンバンギセルの紫色の花、オミナエシの黄色い花、オギの葉、バショウ花と実を観察することができました。因みに、本日の歩数は22,052でした。

閑話休題、『死ぬほど読書』(丹羽宇一郎著、幻冬舎新書)では、読書大好き人間の著者が、自身の読書体験・読書方法を率直に語っています。私も読書大好き人間ですが、私の本たちとの付き合い方と重なる部分が多いことに驚きました。

読書を通じて、人はどう生きるべきかという人生論にまで話が及んでいることが、本書の魅力の一つとなっています。

「私が考える教養の条件は、『自分が知らないということを知っている』ことと、『相手の立場に立ってものごとを考えられる』ことの2つです」。

「教養を磨くものは何か? それは仕事と読書と人だと思います。この3つは相互につながっていて、どれか一つが独立してあるというものではない。読書もせずに仕事ばかりやっていても本当にいい仕事はできないだろうし、人と付き合わず、人を知らずして仕事がうまくできるわけはありません」。

難解で鳴る西田幾多郎の哲学書に対しては、かなり辛辣です。「難解であるがゆえに深いものが書かれている。抽象度が高いものは高尚である。そんなふうに思い込んでいる人は少なくありません。しかしながら、それは錯覚です。やさしいことを難しい言い回しにするのは簡単なことですが、反対に難しいことを平易に表現するのは難しいものです。こと哲学者や思想家といった人たちは、簡単なことをわざわざ難しくいう傾向があります。簡単なことを難しく考えるのは、頭のなかでクリアに整理されていないものがあるゆえなのかもしれません」。換言すれば、極端に難しく感じられるものは、無理して読まなくてもいいと言っているのです。

「本は『なぜ?』『どうして?』と考えながら読めば、それだけ考える力が磨かれるのです。考える力は生きていく力に直結します。それは何よりも読書によって培われるのです」。 

「集中力をもって読書をするには、自分で締切を設定するといいと思います。この経済書は2時間で読むぞとか、この長編シリーズの歴史物は今月中に読んでしまおうなどと締切を設ける。そうすることによってダラダラ読むようなことが少なくなると思います。人はそれぞれ集中できる限界が違いますから、自分の集中力がどのくらいの時間持続できるかを把握しておくといいでしょう。その上で締切を上手に使うと、生産的な読書ができると思います」。

「何か問題が起きると、その問題を必要以上に大きくとらえる人がいます。問題はあってはならないもの、という気持ちが強すぎるのです。しかし、人間は生きていれば問題だらけです。一つ問題がなくなれば、すぐに次の問題が起こる。仕事やお金、人間関係や健康の問題など、挙げればキリがありません。懸命に生きることが、懸命に問題を生み続けるようです。人生というものは、問題があって当たり前。問題のない人生など、どこにもない。問題がなくなるのは、死ぬときです。・・・困難な問題に直面したときに必要なのは、その状況を冷静に見つめながら、前向きに考える謙虚さです。過信や自己否定がそこにあってはいけない。どんなに苦しい状況に陥っても、それは天が自分に課した試練だと私は思っています。そこから逃げることなく、正面から受け止めてベストを尽くせば、必ず知恵と力が湧いてきます。思わぬ閃きも生まれる。そうして不可能だと思っていたものに、光が見えてくる。その源泉となるのが、読書と経験です。とくに多くの本を読んできた人は、先人たちの知識や経験からいろいろ学ぶことによって、突破口を開く気づきや心の強さを得られると思います。問題をあらゆる角度から眺め、あらゆる可能性を探るには、読書で得た知識や考え方、想像力といったものが大きな力になるのです」。

「本を読んでいて、あまり期待していたほどではない内容だなと思っても、一つでも、二つでも心に刻まれる言葉があれば、儲けものと思ったほうがいい」。