こういう文章を綴る南木佳士の小説を読みたくなった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(259)】
散策中に、役割を終え、高木の上のほうで風に揺れているハシブトガラスの巣を見つけました。帰り道では、黒々とした雲とまさに沈もうとする太陽のコントラストが妖しい雰囲気を醸し出していました。今日、2つの図書館で借り出した本を含め、年末年始に読む本21冊が38cmの高さまで積み上がっています。これで活字飢餓に陥らずに済みそうです。因みに、本日の歩数は13,519でした。
閑話休題、『薬石としての本たち』(南木佳士著、文藝春秋)では、地方の勤務医と作家という二足の草鞋を履く南木佳士が、これまでの人生で出会い、大きな影響を受けた8冊の本について、心情を吐露しています。
誠実に、そして不器用に生きてきた著者の人生が窺われるエッセイ集ですが、私には「ようこそ先輩」がとりわけ印象に残りました。著者の座右の書、『マンネリズムのすすめ』(丘沢静也著、平凡社新書)との長い付き合いが、肩に無駄な力を入れずに淡々と語られています。
「著者はわが身より4歳年上の東京都立大人文学部教授。文学、哲学、バッハなどの話題がちりばめられた文章は力の入らないジョギングのリズムで書かれており、歯切れがよく、読みやすい」。
バッハに関する箇所を読んだ南木は、「さっそく、背後の本棚のわずかなCDコレクションのなかからバッハを見つけ出し、かける。椅子の背もたれをさらに倒し、ときおり窓外の初夏の緑に目をやりながら本を読み続ける。これまでいろんなことがあったけれど、結果としてかくのごとき静謐な時間を手に入れられたのではなく、こういう時間を手に入れるためにあくせくし、ゆえにさまざまな精神的、肉体的なトラブルに巻き込まれ続けたのではないか。得たものと失ったものが等価なのか、それを量る計量器を持たぬ身の頼りなさ、はかなさが、むしろこの時間に得がたい軽みと透明感を与えてくれているのだろうか。いろいろ想いはめぐるが、そんなふうに思い込むのも小賢しいゆえ、ただ口をあけて、いまに浸る」。
こういう文章を綴る作家は、どんな小説を書いているのでしょうか。これまで手にしたことのない南木の小説と、『マンネリズムのすすめ』を無性に読みたくなってしまいました。