古代日本の渡来人とは、どこから来た、どういう人々なのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(906)】
ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂に置かれている彫刻「ピエタ」は、ミケランジェロ・ブオナローティの24歳の時の作品です。聖母マリアの比類のない崇高な美しさを目の当たりにして、息を呑み、暫くその場から動けなかったことを、懐かしく思い出します。ミケランジェロは自分が醜男だと自覚していたため、美しいものに憧れ、徹底的に美を追求したのではないでしょうか。幸い、60歳時の彼の肖像画が残されています。漸く、我が家のキンモクセイが芳香を放ち始めました。
閑話休題、『渡来氏族の謎』(加藤謙吉著、祥伝社新書)のおかげで、渡来人に対する理解を深めることができました。
「4世紀末以降(7世紀後半にかけて)、朝鮮半島から日本列島に継続的に移住してきた人々は、各地域の首長のもとに個々に帰属した」。
「渡来人がもたらした多様な生産技術・学識・文化は当時の最先端であり、それらを導入することで、日本の社会は飛躍的な進歩を遂げた。渡来人のなかで有力な集団は『ウヂ(氏)』を名乗って王権に奉仕し、他の集団はその支配下に組み込まれていった。行政機構や手工業生産組織が整備され、大和政権による国づくりが進み、やがて律令国家が成立するが、渡来人はまさに古代国家形成の立役者であった」。
「8世紀から9世紀にわたる変革の過程を経て、渡来氏族は日本の政治的風土のなかに溶け込み(あるいは埋没し)、その特性を徐々に喪失していったとみてよいであろう」。
「平安初期の中央氏族中、渡来氏族の占める割合は、優に3分の1を超えるとみてまちがいない。記録に残ることの少ない一般庶民層も含めると、古代の日本社会に、いかに数多くの渡来人が存在したかが読み取れる」。
「彼らはまぎれもなくわれわれの祖先である。・・・現在の日本人のほとんどが多少の差はあれ、何らかの形で渡来人の血を受け継いでいるのである」。この指摘は、非常に重要です。
朝鮮半島出身にも拘わらず、さらなる飛躍を期して、後に出自を中国系に改めた氏族が多いことが、渡来人の実態を一層謎めいたものにしているのです。
全体像を踏まえた上で、東漢(やまとのあや)氏、西漢(かわちのあや)氏、秦(はた)氏、西文(かわちのふみ)氏とフミヒト系氏族、難波吉士(なにわのきし)氏について詳細な解説がなされているので、より深く学ぶことができます。