書斎で原稿を書いたり、想を練る夏目漱石が俯瞰的に描かれている画文集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(937)】
散策中に、アオバハゴロモを見つけました。植物の害虫ですが、よく見ると美しい薄緑色をしています。チョウかガの幼虫が這っています。我が家をカメムシが訪れました。何の幼虫か、何というカメムシか調べても分からないので、昆虫に造詣が深い阿部節子さんに助けを求めたところ、キハラゴマダラヒトリあるいはアカバラゴマダラヒトリの幼虫(成虫になれば同定可能)、ホオズキカメムシという回答が得られました。次第に花色が変化するランタナの花が咲いています。ピラカンサ(トキワサンザシ)の生け垣が続いています。ツバキの実が落ちています。因みに、本日の歩数は10,458でした。
閑話休題、『夏目漱石博物館――絵で読む漱石の明治』(石﨑等・中山繁信著、彰国社)は、夏目漱石の生涯を辿り、作品の舞台を訪ね、それらが建築や都市空間の視点から再現されているユニークな一冊です。
漱石が、東京大学予備門の予科を終えて専門課程に進む時、建築科を志望しようとしたことが、談話筆記「落第」で語られています。建築家になりたいという夢は果たせませんでしたが。
「牛込第一の繁華街である神楽坂は、漱石の実家からそう遠くない町であった。毘沙門の縁日はもちろん、蕩児の兄たちに誘われて神楽坂芸者と一緒にトランプ遊びをしたなつかしい場所である」。神楽坂を描いた絵が当時を偲ばせます。
「漱石にとって、お茶の水界隈が青春の地であったことを示すひとつの理由は、神田区駿河台東紅梅町(現・千代田区神田駿河台)にあった井上眼科病院で初恋の人と思われる女性に出会った体験があるからである」。井上眼科クリニックが現在も同じ場所で診療を行っています。
引っ越し魔の漱石が、熊本では5回引っ越しをし、3番目に大江村の漢詩人の家を借りていたことを知りました。50年前、私も大江町にあった会社の独身寮に4年半入っていたので、感慨深いものがあります。
東京・千駄木の借家の7畳の書斎が俯瞰的に描かれています。『吾輩は猫である』が書かれた家で、髭を伸ばした漱石が原稿を執筆しており、縁側では猫が寝そべっています。
「漱石は生涯の大半を借家暮らしに甘んじた。約10年間暮らし、終の棲家となった新宿区早稲田南町のかなり広い家も、35円の家賃を払って借りた家だった。・・・漱石は、書斎兼客間や庭をサードプレイスとしても充実させようとした。客間には、自分の気に入った書画や骨董が飾られ、庭には樹木や花卉が植えられた。こうして近代作家としは稀にみる知的で文人趣味的な客間が作り出されたのである。世にいう『漱石山房』である。閑適な生活を演出し楽しむためには金銭を惜しまなかった」。漱石山房全体と、10畳の板の間に小さな絨毯を敷いた書斎で、紫檀の机に向かい、原稿の想を練る漱石が俯瞰的に描かれています。小説『文鳥』には、こう書かれています。「其の頃は日課として小説を書いて居る時分であつた。飯と飯の間は大抵机に向つて筆を握つて居た。静かな時は自分で紙の上を走るペン(=愛用のオノトの万年筆)の音を聞く事が出来た。伽藍の様な書斎へは誰も這入つて来ない習慣であつた。筆の音に淋しさと云ふ意味を感じた朝も昼も晩もあつた。然し時々は此の筆の音がぴたりと已む、又已めねばならぬ、折も大分あつた」。
漱石ファンには堪らない画文集です。