少年7人を手にかけた連続殺人鬼「サックマン」と、わたしの関係・・・【情熱的読書人間のないしょ話(953)】
昨夜は、時折、月が雲間から顔を覗かせました。3mほども伸びたコウテイダリア(キダチダリア)が薄紫色の花を咲かせています。まだ、黄葉、紅葉が楽しめます。因みに、本日の歩数は10,154でした。
閑話休題、ページを捲る間ももどかしく、『僕が殺した人と僕を殺した人』(東山彰良著、文藝春秋)を一気に読み通してしまいました。
本作品の魅力は、3つにまとめることができます。第1は、ストーリーの運びに緩みがなく、しかも、意外性に満ちた展開がいくつも用意されていること。第2は、途中で語り手が交替したことを読者に気づかせない工夫が凝らされていること。第3は、文体が引き締まっていること。
1984年の台湾・台北での出来事と、2015年のアメリカ・デトロイトでの出来事が時空を超えて絡み合いながら、物語が展開していきます。
「こうして、ぼくたちは共謀して喧嘩の理由をすりかえることに成功したのだった。それは中一の夏休みが終わるほんの二日前のことで、いまふりかえると、ぼくたちの人生はここから大きく狂いはじめたんだ」。
「考えてみれば、一九八四年の夏休み前後の三カ月がぼくとジェイを結びつけた。アメリカへ渡った両親においてきぼりを食ったぼくは、ジェイのおじいさんのかわりに布袋劇(ポウテヒ)をやり、バスケットシューズを万引きし、ブレイクダンスの練習に夢中になり、ジェイにキスをされ、そのせいで殴りあい、また仲直りをした。ジェイはジェイでたった三カ月のあいだにぼくにキスをし、そのせいで殴りあい、師範大学の学生に権力のなんたるかを教わり、その男とキスをし、そして継父に殴られて入院した。アガンだってそうだ。母親が男をつくって家を出、転校し、大好きだった父親は目も当てられないほど落ちぶれ、弟はアガンが殺したいほど憎んでいる男(=継父)にすっかり懐いている。そして、ぼくは十四歳になった」。
2015年冬、少年ばかりを7人も手にかけた連続殺人鬼「サックマン」がデトロイトで逮捕されます。その「サックマン」を、31年前、わたしはよく知っていたのです。
「その静かな視線に射すくめられて、わたしはしばらく動けなかった。記憶にある面影と、あまり変わっていないように思えた。削げ落ちてしまった頬は、二年前の昏睡から目覚めたころのままだった。落ちくぼんだ目に宿る光は曖昧で、長年にわたる投薬とリハビリテーションの限界を感じさせた。長机の上でゆるく組みあわせた両手も、十四歳のころの華奢な印象を留めている。わたしのために獰猛なコブラと戦い、わたしのために間違いを正そうとしたこの手が、アメリカで血に汚れてしまったなんて、にわかには信じられなかった」。
「軽い眩暈を覚えた。時空が水飴みたいにゆがみ、わたしたちがばらばらに歩んできた三十年の歳月が煙のように消え去る。わたしの手首に巻かれているオメガの秒針が止まり、そのかわり一九八五年に止まったまま放っておかれた時間がふたたび動きだす。カチ、カチ、カチ、と音を立てながら」。
期待を裏切らない一冊です。