27年間の会社員生活を終えて自由の身となった50歳の男の恋物語・・・【情熱的読書人間のないしょ話(994)】
ナンテンが赤い実をたくさん付けています。キンカンの黄色い実が鈴生りになっています。3つの図書館からリクエストの本11冊を借りてきました。因みに、本日の歩数は10,796でした。
閑話休題、鳥獣戯画に関する研究書かと思って手にした『鳥獣戯画』(磯﨑憲一郎著、講談社)は、何と、著者自身の経験を下敷きにしたと思われる恋愛小説でした。
27年間の会社員生活を終えて、漸く晴れて自由の身となった50歳の「私」の、現在と過去の恋愛が綴られていきます。
退社した翌日に、思い出の喫茶店で、高校時代からの古い女友達と待ち合わせているのに、私の前に現れたのは、見知らぬ若き美女ではありませんか。「じっと自分に注がれている視線を感じて恐る恐る顔を上げると、目の前には一人の、若い、背の高い、美しい女が立っていた」。「了解も得ぬまま私の向かいの高校時代の女友達が座るはずの席に腰を下ろしてしまったのだが、じっさいにはいくら何でもさすがに彼女だって、その前に自らの名前ぐらいは名乗っていたはずだ、それは映画やテレビのドラマでときどき耳にする女優の名前だった。容姿の若さから私は、その女優はまだ二十代の半ばなのだと思い込んでいたのだが、じつは今年で三十歳になることが分かった、そればかりか、最近離婚して実家に戻ったことまで、初対面の男に彼女はあっさりと教えてしまうのだ。『驚いたことに、相手が同性愛者だったんです』。他人事でも語るかのように、彼女は声をあげて笑った」。
「出会った一番最初から私は、女優の彫像めいた背の高さにすっかり魅せられていた、そしてじっさい自分でも信じがたいことに、彼女と京都で落ち合う約束までしてしまったのだ」。
「先斗町で湯葉料理を食べた翌朝、私と彼女は京都駅前から栂ノ尾行きのバスに乗った、『鳥獣戯画』で有名な栂尾山高山寺は、もともとは奈良時代の終わりに天皇の勅願によって建てられた寺だが、その後荒れ果てて粗末な僧庵が残るばかりになっていたのを、鎌倉時代に明恵上人が再興した、国宝の石水院は後鳥羽上皇から学問所として贈られた建物で、現在まで高山寺に伝わる経典、絵画、彫刻の全て明恵上人の時代以降に集められたものだ」。
「高校時代の友人たちが開いてくれた、私の芥川賞受賞を祝う食事会で、十九年振りに私は相澤緑と再会した、相澤緑とは一九八二年の十月から一九八四年の八月まで、高校三年の後半から一年間の浪人生活を挟んで大学に入った年の夏まで、一年十ヵ月の間付き合った」。
「薄暗くなった代々木公園のベンチで抱き合ったりしていた、私たちが抱き合う場所は相変わらず屋外だった、人目を盗んで地下鉄のホームの隅でキスしたりもしたが、それだって屋外には変わりない、思い切ってラブホテルにでも入ってしまわない限りは屋外しかないわけだから、季節に関係なく、百パーセント屋外だったといっても良いだろう」。「だがこの日も、緑と私がセックスにまで至るということはなかった、この日ばかりではない、けっきょく私たち二人は性的な関係を結ぶことなく、翌年の夏に別れてしまうのだ。男の私が緑と寝たいと常々思っていたことは当たり前としても、緑の側にも私を受け入れる用意があったであろうことは間違いない。・・・大学に入学してからの私と緑の付き合いは徐々に下降線を辿っていく」。
「民宿からここまで歩いてくる十分ほどの間、二人とも、一言も話さなかった。『つまり、他に好きな男ができた、そういうことなんだろう?』。私が聞くと、緑は下を向いたまま、しかしはっきりと声に出して、『うん』と答えた」。
私の高校時代は著者のそれより大分昔のことですが、キスどころか、好きな人の手も握れなかったことを、懐かしく思い出しました。