『今昔物語』の世界にどっぷりと浸ることができる絵双紙・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1005)】
我が家の周辺は、雪、雪、雪です。真ん前の小学校の校庭からは、子供たちの元気な声が聞こえてきます。我が家の多胡灯籠も雪を被っています。
閑話休題、『今昔物語絵双紙』(田辺聖子文、岡田嘉夫絵、角川書店。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、読み始めてから読み終わるまで、『今昔物語』の世界にどっぷりと浸ることができました。
『今昔物語』は平安末期に成立したと見られる説話短篇集です。芥川龍之介が『今昔物語』から題材を得て、『羅生門』『藪の中』『芋粥』『鼻』『六の宮の姫君』などの短篇を書いたことが知られています。
「葦刈」は、こんな物語です。「今は昔、京に貧しい若者がおりました。父母も身寄りもなく、ある人に仕えていたが、一向に芽も出ず、もしやと主人を変えてみたが、いつまでたってもはかばかしゅうありませなんだ。この男の妻もまだ年若く、美しく、それに心やさしい女で、貧しい夫に従って暮らしていましたが、夫はあれこれ考えて妻に」私と一緒にいては、あなたは幸福になれないから、別れてそれぞれの道を行こうと、反対する妻を説き伏せます。
その後、別れた女は、摂津守の北の方(夫人)となっており、夫に付いて領国へ赴く途中、葦を刈る下人たちの中に、別れた夫を発見します。互いに思いもかけない状況で再会した二人の間で・・・。
「平中の恋」は、妙にリアルです。「平中。すなわち、兵衛佐・平定文という男。当今、都にならびなき風流男である」。いくら言い寄っても相手にしてくれない女を思い切るために、「そうだ、あの女がどれほど美しくても、生ま身の人間、排泄するのは世間の人間と同じだろう。それを手に入れて見たり嗅いだりしたら、きっと興ざめしていや気がさすかもしれぬ。そう思いついたので、樋洗が筥を洗いにゆくのを奪い取って見てやろうとした(田辺注――このころの上流階級の人は部屋の中に筥を持ちこんで用を足し、それを樋洗とよばれる下人の少女がその都度、筥をきれいに洗い清めるのだが、この筥は螺鈿や蒔絵の綺麗な物が多い)」。
走り寄って樋洗から筥をひったくり、蓋を開けた平中が見、嗅いだものは・・・。
「美女ありき」は、身につまされる物語です。若さにかまけて遊び呆け、一向に修行に身が入らない若い僧が、ある秋の日、二十歳ぐらいの美しい女に出会い、どうにも自制できず、女の寝所に忍び込みます。「『驚きましたわ、尊いお坊さまだと思ったからお泊めしたのに、こんなことなさるなんて情けないわ』。そうしてかたく衣の前を合わせ、許そうとしない。僧は欲情に悩乱して苦しんだ。・・・女はそんな様子を見て、やさしくいった。『あなたをあたまから拒む、というんじゃないの。夫に死に別れてからわたしは独り身で、言い寄る男はたくさんいたけれど、平凡な、見どころのない男と再婚するのはつまらないと思っていたの。尊敬できるような男の人と――あなたのようなお坊さまを敬まってかしずく暮しをしたいと思っていたの。だから、いやだ、っていうんじゃないわ。でもあなた、法華経をそらでお誦みになれる?』」。
「それからというもの、日も夜も法華経を暗誦するのにかかっていた」。法華経を暗誦できるようになった僧に、女は『もっと学識を積んだ学僧になって頂きたいの。それでこそ、あなたを心から尊敬して、死ぬまで愛を誓える、ってもんだわ』」と励まします。
「それから三年、死物狂いで僧は勉学に励んだ。あのひとに会いたい、あのひとを愛したいという思いは、頭に火をつけ、心肝を砕くようであった」。遂に、女は僧を拒まず・・・。最後になって、女の正体が明らかにされます。
田辺聖子のこなれた訳文と、岡田嘉夫の何とも艶かしい絵が相俟って、物語の雰囲気を弥が上にも盛り上げている、得難い一冊です。