弥生時代にも生き続けた縄文の思想とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1092)】
ハンカチノキが、花を包む白いハンカチのような苞葉をたくさん付けています。フジ棚が木陰を作っています。淡紫色の地に黄色が鮮やかなシャガが群生しています。シランが紫色の花を咲かせています。オオムラサキの雌蕊と雄蕊はなまめかしいですね、私の名字が榎戸のせいか親近感を感じるエノキが、空に向かって枝を広げています。因みに、本日の歩数は10,952でした。
閑話休題、『縄文の思想』(瀬川拓郎著、講談社現代新書)で扱われているのは、縄文時代や縄文人ではありません。弥生時代にも生き続けた縄文の思想と、その思想が律した人びとの生き方が考察されているのです。「かれら(=海辺や北海道、南島<なんとう>という日本列島の周縁に生きた人びと)は弥生時代以降、縄文伝統である狩猟漁撈のほか多様な生業に特化することで農耕民との共存を実現し、その結果、縄文の習俗や思想をとどめることになったと私は考えています」。
「アイヌと古代海民(=弥生時代に縄文伝統の漁猟を深化させ、これに特化していった海辺の人びと)のあいだで共有されていた、海と山を往還する神という、他界とむすびついた世界観――そのことに気がつくと、まるでそれが磁石であるかのように、おもいもよらない事実が次々とむすびついていきました。・・・本書は、このような周縁の人びとの世界観・他界観が縄文に起源するものであることを、おもに考古学の成果から論じます」。海民は、弥生文化という新たな時代状況のもとで、各地に偏在する高度な縄文伝統の漁猟文化を導入しながら、日本列島全体で専業的な海洋適応の暮らしを構築していったのです。そして、海民は、漁撈だけでなく、陸獣の狩猟、家畜の飼育、さらに、それらを殺し、解体し、神に供える祭祀や呪術にも深く関わっていたのです。彼らは、動物との濃密な関係という点で、古代社会の中でとりわけ強く縄文の陰影を止める人びとであり、縄文のマルチ・カルチャー性を受け継ぐ人びとだったのです。
「海民や山民という縄文的な伝統をもつ人びとは、農耕民が多数を占める社会のなかではマイノリティであり、殺生をなりわいとする点でも被差別的な立場にあったとおもわれます」。この指摘は、重要です。
「海民とアイヌにとって、魚や獣は神からの贈りものにほかなりませんでした。人びとは、この神からの贈与を分かちあうことによってたがいにむすばれ、手厚い儀礼と土産の返礼という互酬的な関係によって神とむすばれていました」。
「縄文的な世界は、自由・自治・平和・平等に彩られた世界でした」。ただし、これらは近代の理念としてのそれではなく、土俗的なものでした。
「アイヌ、海民、南島の人びとという、縄文の世界観や習俗をとどめた人びとに共通するのは、漁撈、狩猟、海上交通という移動性に富む生活形態です」。
「網野(善彦)は、海民が農耕民とは異なる独自の世界をもち、農耕民がその生活を維持するうえでなくてはならない交易相手であったこと、中世や近世初期の商人の出自も圧倒的に海民であったことなどをあげ、日本の社会像をいちじるしくゆがめてきた閉塞的な『島国論』『稲作一元論』を克服するため、なにより海民の社会と歴史の研究を早急に充実させる必要がある。と訴えたのです。・・・本書は、この網野の海民論に折口信夫のまれびと(=往還する神)論を接合しながら縄文へ遡及しようとする試みであり、ともに列島の基層の思想を明らかにしようとした二人の偉大な研究者が、射程におさめつつ果たすことのできなかった縄文へのアプローチに、ひとつの具体的な方法を示そうとするものなのです」。著者の心意気が伝わってきます。
一風変わった書物です。