定年後、慌てて田舎暮らしに飛び込むなかれ。その前に、本書を読むべし・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1233)】
植物観察会に参加しました。ヒオウギ、遠くにワレモコウ、近くにオミナエシ、ヤマハギ、ヌスビトハギ(実は、盗人がつま先で歩いた足跡に似ている)、クズ、ヘクソカズラ、ツリガネニンジン、ヒメシオン、ヒヨドリバナ、センニンソウを観察することができました。因みに、本日の歩数は17,127でした。
閑話休題、現存する作家の中で私が一番惹かれる文章の書き手は、丸山健二です。文章だけでなく、内容も独自の奥深い風格を湛えており、丸山は私の憧れの存在です。
『田舎暮らしに殺されない法』(丸山健二著、朝日新聞出版)は、田舎暮らしの大先輩の丸山が、定年後、田舎暮らしに幻想を抱き、安易に田舎暮らしに飛び込もうとしている人生の後輩たちに向けた辛口の警告書です。本書は田舎暮らしがテーマになっていますが、人は老年期をどう生きるべきか、丸山の人生観もストレートに綴られています。
「仕事、仕事、仕事に明け暮れる重圧的な日々、腹立たしくて苛立たしい人間関係、安定と引き換えに失ってしまった個人の自由と尊厳、思いどおりにゆかない子育て、くたびれ果て色褪せた夫婦仲、コンクリートジャングルにおいてひっきりなしに生じる正気の沙汰とは思えない犯罪や悲劇、一部の成功者だけがいい思いをすることができる、きらびやかな虚飾の空間、奴隷同然のわが身、汚れ切った空気に臭い水道水、高い人口密度がもたらすところの深い孤独感、さまざまな騒音が重なり合って四六時中唸りをあげる轟音の嵐、いつか必ず襲ってくると言われつづけている大地震への不安――。そうした負の条件のあれこれから受けつづけるストレスを一気に解消しようとして大量に摂取するアルコールやニコチンのたぐいがもたらすところの不健康な分だけ無様な肉体と、その醜い肉体に象徴されるところの成人病と、病のかなたにはっきりと見えている無惨な死――」。
「そんなこんなのおぞましさを全部ひっくるめて、退職を機に残らず退治してしまおう、一個の独立した人間としての立場やら、人間らしい真っ当な生き方やらを取り戻そうという焦燥感が一気につのり、ある日突然、ほとんど発作的に、田舎への移住と、それに伴うスローライフへの涙がこぼれるほど美しい憧れとが脳裏にひらめき、それはたちまち琴線に触れ、くたくたに疲れている脳を乗っ取って完全に支配し、どうせ短い一生だからやりたいようにやるさ、これからは生きたいように生きてみるさという、半ば自棄気味の独り言がみるみる現実味を帯びてゆくことになり、その夢以外は一切見えなくなり、ために、周囲の人たちのもっともな忠告をすべて聞き流し、もしくはお世辞半分の羨望の声に後押しされて、あたかもこの世の天国でも発見したかのような興奮と喜びをもって田舎暮らしを実践する方向へと、社会の荒波にもまれて分別も常識も充分に弁えているはずの一人前のおとながぐっとのめり込んでゆくのです」。
「田舎暮らしを実践するにも確固たる目的があって然るべきだということなのです。空気がきれいだから、自然が美しいから、深い人情と触れ合いたいから――。その程度の動機がすべてならやめておいたほうがいいということなのです。泣きを見ることは必定です。有機野菜を育ててみたいから、陶芸を始めて自分や連れ合いが使用する器を作ってみたいから、若い頃からの夢だったサーフィンやエレキバンドの結成を実現させてみたいから、ペンション経営で心のきれいな人たちと触れ合いたいから、蕎麦屋や居酒屋を開きたいから――。そうしたたぐいの動機もまた、挫折が目に見える。あまりに薄っぺらな、思いつきにすぎない、時間の問題で飽きがきてしまう、長つづきしない、現実を著しく無視した『目的もどき』にすぎません」。痛烈パンチの連続ですね。
「これからのあなたは、自分に残されている衰えてゆくばかりの体力と気力、それに残り少ない預金と年金を頼りに、老いと孤独のハンディを背負いながら生き抜いてゆかなければならないのです。これまでどおりのだらしのない生き方で通用するはずはありません。根本から改める必要に迫られています。一日に一万歩という運動もいいでしょうが、そんなことをする前にやめなければいけないことがあるはずです。何よりもまず酒と煙草から手を切りましょう。それもすっぱりとです。第二の人生はそこから始めなくてはなりません。・・・あなたの体と心は酒と煙草に乗っ取られてしまっています。つまり、あなたの体と心はあなたの物ではないということになるのです。本当のあなたはとうに死んでしまっているのでしょうか」。
「負け犬という厭な評価の使い方を、社会的地位を満足させたかどうかということに用いるのは大きな錯誤です。本当の負け犬とは、自身を律しきれなかった者や、律する方向を目指さなかった者を指して言うべきでしょう。そして人間的という表現は、あくまでも知性と理性の方向で生きることを意味し、けっしてその逆ではありません。動物として生まれて動物のままで死んでゆくような一生を送った人間こそが真の負け犬なのです」。
「年齢にふさわしい、もっと落ち着いた、自分らしい、奥の深い、なるほど第二の人生だと感じられるような重厚な生き方を選ぼうとしないのはなぜですか」。鋭い問いかけです。
「正しい食事と、適度な運動と、没頭できる、奥の深い趣味や仕事と、充分な睡眠を保っていても、遺伝子の関係などによって病気になるときはなるのです。・・・それが老後の現実というものでしょう。・・・あなたの病気なのですから、あなたの生死にかかわる問題なのですから、あなた自身もその病について勉強するのが当然だと言いたいのです。素人の付け焼き刃では役に立たないなどとは考えず、それでも知っておくべき情報はすべて手に入れ、医師の判断に疑問を呈し、対抗できる程度の知識を仕込んでおくべきでしょう」。
私見ですが、基本的な医学知識を身に付けるには、パソコン(あるいはスマホ)で「○○(病名) MSDマニュアル」と打ち込むことをお薦めします。この「MSDマニュアル」は、世界中のドクターから最も信頼度が高いと評価されています。MSDマニュアルには家庭版とプロフェッショナル版がありますが、家庭版で必要十分な知識が得られます。
「確かに子どもの時代に味わった、爆発的とも言える生きる喜びに比べれば、老い始めてきてからのそれは何分の一かに減ってしまっていることでしょう。それでも、老いてなお、できる限りの手を尽くしておのれの健康をきちんと維持している者の喜びこそが正真正銘の生の喜悦であり、当人自身しか知り得ない、言葉によって説明できないほどの命の充実感なのです」。同感です。
本書も、私の期待を裏切らない一冊でした。