65歳になったら、○○しなくていいと腹を決め、楽に生きていこう・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1234)】
甥の結婚式に出席しました。結婚式に出ると、幸せな気持ちになります。両親たちの思いはいかばかりでしょう。カメラマンとして大活躍の、姪の長男と、女房の笑顔の一枚。因みに、本日の歩数は10,127でした。
閑話休題、『65歳 何もしない勇気』(樋口裕一著、幻冬舎)は、65歳以上の人たちに「○○しなくていい」のだ、楽に生きていこうと呼びかけています。
我慢はしなくていい、無理はしなくていい、気をつかわなくていい、好きな人とだけつき合えばいい、楽しいことだけすればいい――というのです。
「高齢になると、つらいことが増えてくるでしょう。どうしても孤独に襲われることになるでしょう。かつてのプライドを傷つけられ、時に悲しみ嘆くでしょう。が、そのような高齢の時間をできるだけ楽しく、できるだけ楽に生きたいと思うのです。そして、そう思った時に柱となるのが『しなくていい』という考えでした。ですから、ここでは基本的に『しなくていい』と考えながら生きていくにはどうすればいいか、その方法を提案してきました」。
いずれの提案も納得のいくものですが、とりわけ印象に残ったのは、この3つです。
第1は、「頑張らなくていい」という提案です。「近代の社会では、努力すること、頑張ることがプラスとされてきました。できるだけ努力し、今日できることは今日中にやってしまい、根を詰めて、時には徹夜してまで仕事に切りがつくまでやり遂げる。そうした行為を美徳とする風潮が続いてきました。しかし、言うまでもありませんが、それは壮年期までの美徳です。高齢になったら、時間を節約する必要はありません。頑張ってしまうと、翌日にすることがなくなってしまいます。・・・人生はほどほどでいいのです。明日できることをきょうやってしまったら、明日の楽しみがなくなってしまいます」。
第2は、「不愉快な人とは縁を切っていい」という提案です。「高齢になったら、これまで以上に、不愉快な思いをして人とつき合うのが苦痛になってきます。若いうちは、不愉快な人が相手であっても我慢してつき合っていました。それは、後々面倒なことが起こったりした時に、もしかしたら利益をもたらしてくれるかもしれないという下心があったからでした。しかし、高齢になるとそうしたことは皆無といってよいでしょう。引退したら、仕事上どうしても必要なつき合いも、もうないのです。だったら、無理をしって不愉快な人とつき合うこともないのです」。
第3は、「孤独に慣れるのもいい」という提案です。「高齢になるということは、仲間を失い、自由に動けなくなり、交流の機会が少なくなり孤独になってしまうことでもあります。不幸にして配偶者を先に失うこともあるでしょう。言うまでもありませんが、人は一人で死んでいきます。多くの人には、一人きりで暮らさなければならない時期があるものです。たとえ家族と同居していても、自分のことをわかってくれる人は少なく、孤独感を覚えもするでしょう。・・・テレビや映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり・・・。そんな一人で過ごす時間、一人で行動することに慣れておきたいと思います。・・・孤独というのは、老いとともに誰もが通ってきたし、また通っていく道です。生きるということは、孤独を味わうことでもあります。避けることのできないものであるなら、できるだけ楽しむことを心がけてみませんか」。
もう1つ、この著者の提案は、私も実行していますが、全く同感です。その提案は、「ブログを始めてみる」というものです。「自分で(ブログの)文章を書くことによって一歩先に進めると感じることがあります。書かないままですと、自分の考えが定着できず、ぼんやりしたままになってしまいます。同じことをいつまでも考えています。ところが、書くことによって、あとでそれを読み返すことができます。その間違いに気づくこともありますし、自分でもっと深めることもできます。そうしたことは、文章として明示しないとなかなか気づかないことです」。
65歳以上の方に一読をお勧めします。