「戦争ができる国」へ、のめり込む日本への警告の書・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1276)】
東京・杉並・荻窪の大田黒公園の竹灯籠は幻想的です。その前に訪れた角川庭園では、秋の気配を感じることができました。因みに、本日の歩数は12,832でした。
閑話休題、『よみがえる戦時体制――治安体制の歴史と現在』(荻野富士夫著、集英社新書)は、戦前の治安維持法時代の悪夢が甦る危険性が高まりつつあると警告を発しています。
「安倍晋三内閣の登場以来、とりわけ第二次政権以降、その強権的・強圧的な政治姿勢は戦争へと進む道を急テンポに推し進めつつあります。多くの人々がそれに戦前・戦時中と似た『きな臭さ』と『危うさ』を見てとり、かつてなく中高年や若い層を抗議の意思表示に駆り立てました。その一方で、教育基本法『改正』から『共謀罪』に至るまで抵抗と批判を寄せつけず実現をみたのは、現政権を容認・肯定する世論が分厚く存在しているからといえます。・・・これらの層は、2017年に加速した朝鮮民主主義人民共和国の核・ミサイル開発への対抗として、憲法改正を含む日本の軍備拡充を支持し、『国民の安全安心』と『国益』を守るためには武力行使もやむを得ないと考えはじめた層と重なるでしょう。戦争を不可避とする『もっともらしい』理屈に、再び国民は飲み込まれようとしています。現在は、このせめぎ合いが正念場を迎えています」。まさに、正念場なのです。
本書は、安倍政権による「戦争ができる国」への傾斜に危機感を表明するとともに、日本がどのように戦時体制を作り上げていったのか、治安体制はどのように太平洋戦争を可能としたのか、現代日本はどのように新たな戦時体制を形成してきたのか――を詳細に記しています。
「共謀罪法こそ『現代の治安維持法』といえます。・・・共謀罪法がその埋め込まれた拡張解釈により、やがて市民運動や労働運動の抑圧に使われかねないと予感したのです。かつて拡張に拡張を重ねた治安維持法の運用が、戦争に反対し、障害とみなしたものを根こそぎ一掃し、戦時下において『思想清浄』『思想洗浄』に狂奔したことは、歴史の教訓として定着していました。・・・共謀罪法は、実行行為のない段階で犯罪の合意がなされたというだけで処罰を可能とするという恐ろしさをもちますが、それにとどまらず、監視社会化への流れを大きく加速し、まっとうな社会や政治への批判や疑義を萌芽のうちに摘みとることを可能とします。それらが地表上に出現する前に摘発がおこなうためには、盗聴・検閲などの広がりと膨大な内偵捜査のための人員・予算の増大は必至となります。拡充された組織はそれを常時運用していくために、さらに新たなターゲットの発見に奔走していくことになります。『社会秩序』を乱すものとして反対・批判・異論はあぶりだされ、封じ込めと抑圧化が図られます」。
「新たな戦時体制の遂行のために、その障害となるおそれがあるとみなされた市民運動・労働運動・学生運動などのあらゆる社会運動は抑圧統制されるだけでなく、国民は戦争支持・協力のために動員され、情報の秘匿と独占は一層強まり、その漏洩は厳しく処断されます。報道も一段と統制され、政府・為政者層に好都合な方向に誘導されます。教育・言論・学問・芸術などの領域でも、統制と動員の圧力が強まります。基本的人権の制限や民主主義・立憲主義の破壊の進行と、新たな戦時体制の出現は表裏一体の関係にあります」。
基本的人権の根幹が侵された状態がいかに苛酷で悲惨なものか、私たち一人ひとりが想像力を働かせないと危険だと、痛切に思わされました。