榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

スパイ、その友情と愛と死・・・【続・独りよがりの読書論(11)】

【にぎわい 2009年6月30日号】 続・独りよがりの読者論(11)

男の友情を考えるとき、暗闇の中から浮かび上がってくる人物、それがリヒアルト・ゾルゲと尾崎秀実(ほつみ)である。

太平洋戦争開戦前夜、警視庁によって摘発された国際スパイ団事件、いわゆるゾルゲ事件の首謀者としてゾルゲと尾崎が処刑されたのは、1944年11月7日のことであった。この日、先に十三段の絞首台を上っていったのは尾崎である。首に綱がかけられ、足元の落とし戸がカタッと開く。体が急降下し、綱の先端で宙吊りになる。18分後に死亡確認、時に42歳。ゾルゲの場合は、16分後に絶命、享年49。

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ゾルゲ事件の本質を最も的確に捉えているのは、『未完のゾルゲ事件』(白井久也著、恒文社)だと思う。なお、『ゾルゲ事件の謎を解く――国際諜報団の内幕』(白井久也著、社会評論社)は、この書の増補・改訂版。

ソ連(現・ロシア)のスパイ、ゾルゲがドイツの代表的新聞「フランクフルター・ツァイトゥング」紙の特派員を装って来日したのは、1933年9月である。ゾルゲに課せられた日本における諜報活動の最大の任務は、満州事変以後の日本の対ソ政策を探り、日本がソ連攻撃を計画しているか否かの情報を入手することであった。すなわち、ゾルゲの日本への派遣はソ連の危機感の表れであり、ソ連という社会主義国家の生き残りを懸けた布石であった。

1934年春、ゾルゲは再会した尾崎に、「実は頼みがある。日本の状況について、いろいろ教えてほしい」と申し入れる。尾崎は躊躇することなく答える。「僕にできることなら、何でもするよ」。尾崎は一高、東京帝大を卒業し、朝日新聞社に入社。中国問題の専門家として知られる知識人であり、やがて近衛文麿首相のブレインとして内閣嘱託となり、半官半民の巨大組織、満鉄の嘱託となった人物である。このように能力と社会的地位に恵まれ、家庭にあってはよき夫、よき父であった尾崎が、なぜ、ゾルゲに協力するという危険な道を選択したのか。尾崎自身の表現を借りれば、「困難ばかり多く一文の得にもならぬ仕事」に従事することを、なぜ、決断したのか。ゾルゲと尾崎は、尾崎が朝日新聞特派員であった上海時代に強い友情で結ばれた仲であり、2年ぶりの再会は二人の友情を瞬時に甦らせたのである。不利益をも甘んじて共有し、一人の人間のためにもう一人の人間が命を懸ける、これが真の友情だと思う。

ゾルゲは、尾崎の透徹した洞察力、収集した情報の核心にずばりと切り込み、もやもやしている複雑な事実関係を明快に筋道立てて説明する能力を高く評価していた。尾崎の高潔な人格、豊かな人間性に全幅の信頼を寄せていた。一方、尾崎は、ゾルゲの先見性に富んだ分析力、豊富な知識をベースに綿密な理論展開で問題の本質を浮き彫りにする能力を、誰よりも認めていた。そして、ゾルゲの大胆かつ精力的な行動力に敬愛の念を抱いていたのである。

尾崎が目指したものは何か。尾崎は、日本の将来をどうすべきか、特に中国との戦争を止めさせ、ソ連との戦争も米英との戦争も回避し、アジアに平和を実現するための打開策をどこに求めるべきかを、当時の最重要課題としていたのである。尾崎の情報入手、情報分析の本質は、あくまでも反戦・平和のためのものであった。しかし、戦争に反対し、平和を守ることは、当時の日本の全体主義体制下にあっては、それこそ命懸けの闘いであった。自分の理想・信念に、そして志を同じくする人間との友情に殉じた一人の勇気ある男の苛烈な生き方を、私たちはここに見るのである。

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満鉄で尾崎の部下であったため、ゾルゲ事件との関係を疑われて取り調べを受けた人物の手記『ゾルゲ事件と特高――或る被害者の手記』(海江田久孝著、萩タイプ社、非売品。国立国会図書館蔵)に、次のような記述がある。「その看守の話によると、尾崎に対する取り調べの峻烈さはとうてい私らの比較ではなかった由である。毎日朝早くから夜遅くまで、竹刀をバラバラにした竹の鞭で裸の全身を打たれ、殴られ、蹴飛ばされ、立って歩くこともできずに四つん這いに這って留置場まで帰ってきたと言っていた」。

尾崎は、このような環境の中にあっても毅然とした姿勢を崩さず、厳しい拷問を受けたことは家族に秘し続けたのである。獄中から妻の英子と一人娘の楊子に書き送った手紙が、死後、『愛情はふる星のごとく』(尾崎秀実著、今井清一編、岩波現代文庫)というタイトルで出版され、戦後のベストセラーとなったことを覚えている人もいるだろう。この感動を呼んだ書簡集によって、心優しい人道主義者であった尾崎の一面を知ることができる。

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ゾルゲ事件は、当然のことながら、ゾルゲ抜きでは語れない。『ゾルゲ 引裂かれたスパイ』(ロバート・ワイマント著、西木正明訳、新潮文庫、上・下巻。出版元品切れ)は、これまで未公開であったKGB極秘文書やゾルゲの愛人たちの新証言を駆使して、ゾルゲの人間的な側面に迫った力作である。

元来、諜報活動はその従事者に細心の注意と入念な警戒心が求められるうえに、不断の忍耐力が欠かせないため、神経を摩り減らすこと夥しい。鉄の意志を持つといわれたゾルゲといえども一人の人間である。決して超人ではない。ゾルゲのような超一流の有能なスパイであろうと、ストレスが蓄積していく。そのうえ、よき理解者であった本国の上司がすべてスターリンによって粛清されてしまったため、絶望と孤独感に苛まれる。それを忘れようと深酒をし、女性を抱く。しかし、アルコールも女性も一時的な慰めにしかならなかったのである。

ゾルゲは女性に対し磁石のような吸引力を持っていたという証言が残されている。著名なジャーナリストのアグネス・スメドレー、駐日ドイツ大使夫人のヘルマン・オット、「日本人妻」として有名な石井花子、高名なハープシコード奏者のエタ・ヘーリッヒ・シュナイダーをはじめ、数え切れないほど多くの女性がゾルゲに惹き付けられた。しかし、ゾルゲが一番深く愛したのは、恐らくカーチャ・マキシモーワであったろうと、著者は述べている。彼女はゾルゲがソ連に残してきた妻であるが、彼女宛ての手紙には、一緒に暮らしたいというゾルゲの強い願望が滲み出ている。その後、彼女はゾルゲの妻であるがゆえに、スターリン体制下のソ連で悲劇的な運命を辿ることになる。

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国際スパイ ゾルゲの真実』(NHK取材班・下斗米伸夫著、角川文庫)は、手っ取り早くゾルゲ事件の全体像を把握するのに適している。

石井花子は、異国でスパイ活動を続けるゾルゲの心の支えとなった日本の妻である。著者のインタヴューに石井は、「そのころよ、初めてゾルゲが泣くところを見たのは。それで、なぜって、びっくりして聞いたらね、『私友達がいない。寂しい』って言うの。だから、ああいう仕事は孤独なんだねって思った」と語っている。命を捧げたソ連に命さえ狙われかねなかったゾルゲは、遥か極東の日本で、いつ暴かれるか分からない二重生活を続けながら、極度の緊張と激務に身も心も摩滅させていたのである。