全てを数珠繋ぎにした「1つのストーリー」で学ぶ、画期的な世界史教科書・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1283)】
千葉・柏の「あけぼの山農業公園」の遅咲きのコスモスとキバナコスモスが見頃を迎えています。因みに、本日の歩数は10,850でした。
閑話休題、『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書――公立高校教師YouTuberが書いた』(山﨑圭一著、SBクリエイティブ)は、さまざまな工夫が凝らされています。
その工夫とは、●一般的な教科書とは異なり、全てを数珠繋ぎにして「1つのストーリー」にしている、●「主語」が変わるのを最小限に抑えている、●年号を使わない――の3つです。
数珠繋ぎの1つのストーリーとは、「最初にヨーロッパ、中東、インド、中国の4つの地域の歴史を個別に学んだあとに、大航海時代を通じて4つの地域が1つに合流。次に近代、現代を通じて、ヨーロッパ世界がアジアを中心とした世界に影響力を強めていく過程をまなぶ」という方法です。「昔ばなしのように、数珠つなぎにされたシンプルなストーリーは、頭に残りやすいのです」。
いくつか、具体的に見ていきましょう。
「ヨーロッパを1つにした巨大国家の誕生」は、このように説明されています。「『古代ギリシア』とともに、ヨーロッパ文化の源流になったのが『ローマ帝国』です。ローマ帝国は、西ヨーロッパから地中海全域に及ぶ大帝国だったため、道路や建築、言語など、ヨーロッパに『統一性』をもたらした1つの重要な要素となります。ローマ『帝国』というものの、ローマの前半(最初期を除いて)は、王や皇帝をもたない『共和政』という時代でした」。
「民族移動と混乱から『中世』が始まる」では、ダイナミックな民族移動が簡潔に描かれています。「ローマ帝国の東西分裂後、大航海時代やルネサンスが始まるまでの約1000年間を中世といいます。『中世』の時代に起きた度重なる民族移動や小規模国家の分立が、その後のヨーロッパに『多様性』を与える要因となります。まず、民族移動の先陣を切ったのはゲルマン人です。・・・(4世紀後半)アジア系のフン族が、東から突如ゲルマン世界を圧迫し始めたのです。フン族が突然やってきたために、ゲルマン系の諸部族はビリヤードの球が弾けるように圧迫から逃れようとして、俗にいうゲルマン人の大移動を開始します。そして、ゲルマン人は、それまで北西ヨーロッパに住んでいたケル人や、ローマ帝国内のラテン人(ローマ人)を圧迫しながら新たな居住先を探し、移動先に次々と国を建てていきました」。すなわち、フランク人がフランク王国(現在のドイツ、フランス、イタリア)を建国し、アングロ・サクソンの諸民族がイングランドを建てたのです。
「イスラームが世界の4分の1の人をひきつける理由」は、このように解釈されています。「イスラームの最大の教義は、『ただ1つの神の前の絶対平等』です。『アッラー』といわれる唯一絶対神を信じ、他の神を認めません。これは、同じ一神教のキリスト教やユダヤ教も同じです。ということは、キリスト教の『God』、』ユダヤ教の『ヤハウェ』、イスラームの『アッラー』は、すべて『同じ神』ということになります。・・・この3宗教は同じ概念を持つ、いわば『兄弟』なのです。3宗教の違いは、この『神』の言葉を授かった者が『モーセ』だけなのか、『イエス』や『ムハンマド』を含めるのか、という点です。イスラームにおいて、ムハンマドは人類最大最後の預言者であり、神の言葉を『完全に』伝えているため、『真の宗教』ということになっています」。イスラームでは、コーランの掟を守る限り、全員が平等とされているのです。
「中国史上に残る『名君』が続いた清王朝」には、興味深いことが書かれています。「明に代わって中国を統治した清王朝は、漢民族の国ではありません。ツングース系の女真族の国家で、女真族が漢民族を支配して建てました」。「4代目皇帝の康熙帝は、中国の皇帝史上最長の61年の在位を誇り、中国の歴代最高の名君といわれています。ロシアのピョートル1世から尊敬され、フランスの『太陽王』ルイ14世からも、まるでファンレターのような手紙を受け取るほど、まさに『名君中の名君』だったのです。軍を率いては台湾を征服し、中国南部の反乱も瞬く間に鎮圧します。その陣中でも、1日300通もの書類に目を通して決裁を行いながら、読書を欠かさなかったそうです。・・・内政においては、減税を『何度も』実施するとともに、土地を基準に税金をかける地丁銀制を実施しました。また、『税を安くする代わりに、確実に徴収してとりっぱぐれがないようにする』という改革を行いました。その減税の結果、結果的に税収を増やすという好循環を生み出します。学問の世界においても、現在の漢字辞典のもとになる『康熙字典』を作成して、自身も血を吐くほど勉強し、儒学、天文学、地理学などあらゆる教養を身につけたようです」。康熙帝、雍正帝、乾隆帝の3代が清の黄金期を築き上げたのです。
「世界に挑戦状を叩きつけたドイツの『青年』皇帝」を読むと、第一次世界大戦のきっかけがよく分かります。「(ドイツの)皇帝ヴィルヘルム2世の即位によって状況が変わります。ヴィルヘルム2世が即位したのは29歳、そのときのビスマルクの年齢は73歳でした。若い皇帝にとって、ビスマルクの守りの政策はいかにも『年寄りくさく』感じました。さらに、皇帝である自分を超える名声を首相が持っていることも気に入りません。そのため、ヴィルヘルム2世はビスマルクを引退させて親政を開始し、『世界政索』を唱えて植民地獲得競争に乗り出すことを宣言します。『守り』から『攻め』に切り替えたドイツは、世界中の国を敵に回し、第一次世界大戦のきっかけをつくることになるのです」。
高校生だけでなく、社会人にとっても一読の価値がある一冊です。