「ロス疑惑」の主人公・三浦和義と過ごした逮捕直前の1週間・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1370)】
メジロ、シジュウカラ、スズメの群れ、ホオジロ、モズの雄、ハクセキレイ、ツグミ、ムクドリ、ヒヨドリ、ハシボソガラスとツグミの群れ――をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は10,915でした。
閑話休題、ルポルタージュ集『馬車は走る』(沢木耕太郎著、文春文庫)に収められている「奇妙な航海」では、「ロス疑惑」の主人公・三浦和義と過ごした1週間、それも逮捕直前の1週間が描かれています。
ひょんなことから、SM嬢に三浦が縛られる撮影現場を見学した時のこと。「私の皮膚に鳥肌が立った。だがそれは必ずしも嫌悪感によるものではなかった。自分に理解できない存在を前にした時の、ノンフィクションの書き手としての身震いと同じような質のものであったのかもしれない。少なくとも、その時初めて、私は三浦和義という人物を知ってみたいと思ったのだ」。
三浦の人格を形作ったものは、何だったのでしょうか。「『もし時間が充分にあるのなら、子供の頃のことを訊いてみるといいかもしれないな』。私もそのつもりだった。『彼の人格の秘密はあのへんにありそうだからね。特に母親との関係。あれは多分、家庭内暴力のはしりだったんじゃないかという気がしてるんだ』。『なるほど』。『それとやはりターキー(=父方の叔母・水の江滝子)ね』。『実子かどうかということ?』。『いや、こちらの調べではどっから突っついてみても、実子という証拠は出てこないんだけど、やはり彼女の存在は大きいと思うんだ』」。
「弁明に弁明を重ねていた時の、あの言葉が空転し壊れていく奇妙な印象。自分を悪く言いそうな人物に対する巧妙でさりげない中傷。そして、あらゆる話題に対応していく瞬発力。精神分析からの演技性人格障害などというレッテルでは収まり切れないものが、彼にはある」。
「私はその電話の瞬間的な対応の鮮やかさに声を立てて笑いながら、三浦という人に対してある痛ましさのようなものを感じていた。彼は、実は、生きることにひどく不器用だったのではあるまいか。ふと、そんな気がしたのだ」。
「道徳と善悪をわきまえないだけ。そうなのだ。多分、そうに違いないのだ。・・・三浦には、(三菱銀行猟銃人質事件の犯人)梅川(昭美)には、だから私たちには、はじめから紊乱すべき価値の体系などないも同然だった。倫理も道徳もどこかに消えていた。存在したのは、すべてに二者択一を強いられる世界だった。AかBか、○か×か、二者択一の世界に倫理や道徳は入り込む余地はなかった。しかし、生きていくためには、道徳まがいのものを身につけなくてはならない。だから、あらゆる場所で、あらゆる機会に、学び、学ばせられる。しかし、三浦は何かの理由で学ぶことを拒否し、彼の両親は何かの理由で学ばせそこなったのだ。恐らく、彼には人生の目的というものがなかった。なかったはずだ。もし、女とか、金とかが目的だったなら、もっと違った人生を送ることができた。彼にはあらゆることが面白く、しかしあらゆることがつまらないものだった。だから、彼は関心を持つことはできるが、その関心を持続させることができなかった。ほんの短い期間は集中できるが持続しない。彼が、性に関して自由なのは、ホモだからでもなく、マゾだからでもない。彼の行動を繋ぎとめ制御するものが何もないからだ。彼にはあらゆることが可能なのだ。可能だが、意味がない。だから、結局は淫することがない、淫することができないのだ。私と同じだ。違うのは、私は生きやすく生きるための方法を、いつか、どこかで学んでしまったというだけなのだ」。三浦との奇妙な航海の一時同乗者となった、三浦と同い年の著者の三浦観は説得力があるが、「生きやすく生きるための方法」を学ばなかった人間だから、愛人・楠本(白石)千鶴子と妻・一美を殺したことが許されるとでもいうのでしょうか(「殺した」でなく、「殺したことが濃厚」と表現すべきかもしれませんが)。そこまで許容できない私は、あまりにも教条主義的過ぎるでしょうか。