榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

現生人類の多地域進化説の立場から、人類の進化を眺めると・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1448)】

【amazon 『人類との遭遇』 カスタマーレビュー 2019年4月7日】 情熱的読書人間のないしょ話(1448)

樹木観察会に参加しました。樹木医の本澤賢一氏の分かり易い説明のおかげで、大変勉強になりました。樹齢100年ほどと思われるシラカシの大木の根に栄養を補給するため、小さな穴を開けた竹筒に腐葉土と牛糞を詰めて埋めました。シラカシの新葉が赤みを帯びているのは、アントシアニンという色素が紫外線から新葉を守っているためとのことです。アカマツ、センダン、コナラ、樹齢50年のソメイヨシノ、ウワミズザクラ、ミズキ、シマトネリコ、ツバキの原種・ヤブツバキをカメラに収めました。ニホンノウサギの足跡、コチドリが見つかりました。悠々と大空を舞うオオタカが、左上方に点のようにぼんやりと写っています。因みに、本日の歩数は13,603でした。

閑話休題、『人類との遭遇――はじめて知るヒト誕生のドラマ』(イ・サンヒ、ユン・シンヨン著、松井信彦訳、早川書房)は、私が支持している現生人類のアフリカ単一起源説(完全置換説)ではなく、多地域進化説の立場から書かれているが、興味深い記述に出会うことができました。

「200万年前にホミニンは3種おり、アウストラロピテクス/パラントロプス・ボイセイは菜食主義者、ホモ・ハビリスは腐肉あさり、ホモ・エレクトスは狩人と、アフリカの変わりゆく環境に三者三様のやり方で適応していました。このうち、菜食主義者のアウストラロピテクス/パラントロプス・ボイセイは、脳は小さかったものの(500cc)、とても大きな歯を持っていました。対照的に、肉食のホモ・エレクトスは、脳は比較的大きかったのですが(1000cc)、小さい歯と小さい咀嚼筋を持っていました。そして、腐肉をあさっていたホモ・ハビリスの場合、脳の大きさはこの2種のあいだを行く650ccでした。食べ物と脳の大きさとには驚くような関係が確かにありそうです。大きな脳には狩猟採集が必要でした。そのためヒトは、動物の移動パターンや刻々と変わる環境について、情報を覚えたり総合的に判断したりしなければなりませんでした。人類の系統では、そのための最も重要な『武器』が社会的な協力だったようです。集団の規模が大きくなるにつれ、そのメンバーについて、またメンバーどうしの複雑な関係について、情報が急激に増えていきました。ヒトの大きな脳は、この大量の社会情報を蓄えるのに用いられ、そうした情報に適宜アクセスできるように設計されました。これこそヒトが大きな脳を持つ本当の理由です。すべての脳細胞が同時に使われることがなくても、大きな脳内に脳細胞とシナプス結合が大量に存在するのは好都合なのです。大きな脳を持っているので、急速に変化する環境に適応するのに、情報の大規模記憶装置にアクセスでき、おかげで環境の多岐にわたる変化に対応できるのです」。

「デニソワ人は後期更新世(12万5000年ほど前から1万2000年前まで)にアジア大陸全域に分布しており、アフリカから出てきた現生人類と遺伝子を交換し(つまり交雑し)、適応上有利に働くデニソワ人遺伝子が現生人類のDNAに残った、というのが最も説得力のある仮説です。現生人類に見られるデニソワ人遺伝子に多くは免疫系と関連があります。さらに、デニソワ人に関するその後の研究で、デニソワ人との1~3パーセントの遺伝的混合が、北西ロシアから北東アジアにかけての集団やアジア大陸全域の集団で、そして一部のヨーロッパやアフリカの集団で、と広範囲に見られたことが示唆されています。最近、チベット人から見つかった高地適応に有利な遺伝子がデニソワ人のDNAからも見つかっており、いずれにせよ、ユーラシアの集団とアフリカの一部の集団がネアンデルタール人やデニソワ人と広く交雑していたらしいという見方に弾みを付けています」。

「どうやら、デニソワ洞窟は長年にわたってデニソワ人、現生人類、ネアンデルタール人の棲み処となっていたようなのです。こうした考古学調査の結果をすべて考え合わせると、今わかっているのはこういうことになります。7万~8万年ほど前、デニソワ人はロシアとモンゴルの国境に近いデニソワ地方に暮らしていました。そこへ、4万5000年前にネアンデルタール人が移り住んできて(あるいはすでにいて)、石器やいくつか小さな化石を残しました。それが、どうやら4万年ほど前までにこのあたりを出たらしく、そのあとに現生人類が住み着きました。こうして、アルタイ地方は短期間に3種の異なるホミニンによって占有されたのです。この3種のあいで何が起こったのでしょうか? 交雑して子孫を残したのか? 現生人類のDNAにはネアンデルタール人とデニソワ人のDNAが含まれていますが、デニソワ人のDNAにネアンデルタール人のDNAが17パーセント含まれていることも指摘しておく価値があるでしょう。このホミニン3系統はどうやら複雑に絡み合っており、私たちはそれをまだ完全には理解できていないようです」。

「今のところは、興味をそそる次のような展開が想像されるだけです。すなわち、300万年前、もしかするとアウストラロピテクスの一部がアフリカを出て、草原地帯を伝い、ユーラシアへ移り住んだ。そのまた一部が最終的にインドネシアのフローレス島に、手段はわからないがたどり着いた。アウストラロピテクスの子孫であるこの集団が、フローレス島で隔絶されてつい最近まで生き延び、最終的に『フローレス人』化石として再発見された。この展開を仮説としてまともに検証するにはもっと証拠が必要で、完全頭骨ひとつでは不十分です」。

いよいよここからが、著者の主張の最重要部分です。「私たちの途方もない多様性をふまえると、私などは、現生人類が一時点に一カ所で発祥してその他すべてと置き換わったとする完全置換説に、正しいという可能性がそもそもあるのかとさえ思ってしまいます。私は違う説の立場を取っており、次のように考えています。すなわち、現生人類発祥の地は一カ所ではなく、複数あった。そして、単一の集団として出発して世界中に広がったのではなく、各地のさまざまな集団があちこち移動しているうちに出会って遺伝的に混合してひとつの種として進化していった。こうした過程を経たので、今日きわめて多彩な人類が各地で暮らしているが、誰もがホモ・サピエンスという種に属している、と。この説は『多地域進化説』と呼ばれており、1984年にミルフォード・ウォルポフ、中国科学院古脊椎動物・古人類研究所(IVPP)の呉新智、オーストラリア国立大学の故アラン・G・ソーンによって提唱されたものです。『ネアンデルタール人と現生人類には交流があって、遺伝子流動(特定種の遺伝子が地域間を移動すること)を通じて交雑し、ひとつの種として進化を続けた』というこの説の主張は遺伝学における近年の研究成果と矛盾していません」。こう説明されても、私はアフリカ単一起源説に分があると考えています。