榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

講談社などの台頭以前に、博文館という出版王国が存在した・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1653)】

【amazon 『近代出版文化を切り開いた出版王国の光と影』 カスタマーレビュー 2019年10月27日】 情熱的読書人間のないしょ話(1653)

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閑話休題、本が大好きな私は出版界に関心を抱いているが、『近代出版文化を切り開いた出版王国の光と影――博文館興亡六十年』(田村哲三著、法学書院)を読むまでは、講談社などの新興出版社が台頭する以前に、博文館という出版王国が存在したことを知りませんでした。

明治20(1887)年に大橋佐平が東京で創業した博文館は、三男・新太郎の才覚で目覚ましい発展を遂げ、一大出版王国となります。

「博文館の出版物が低定価主義によってますます売れるようになると、同業者の嫉妬は博文館への版権侵害の抗議となって現れた」。

「博文館の書籍出版は全集物の出版に重点を置いたものであった。それは初め古典物を多く手がけたこともあったが、それだけではなく定期的に刊行することによって、安定的に読者を確保する狙いがあった。つまり雑誌の延長線上に書籍の出版を重ねていった。広告宣伝が未熟で小売店も限られていた時代、一点一点発行するたびに読者を獲得する単行本と違い、全集物は雑誌とともに出版経営上最も安定的な手法であった。新太郎の優れた経営感覚が博文館の全集物重点主義に繋がったといえよう」。博文館は、読者の底辺拡大に成功したのです。

「坪谷善四郎は『大橋新太郎伝』のなかで、『新太郎が博文館の出版事業において、最も国民思想上に偉大なる功績をあらわしたものは、古典の翻刻にある』と記している」。

『太陽』、『少年世界』、『文芸倶楽部』などの雑誌は、博文館の名声を高め、看板雑誌として事業の発展に貢献しました。ここで樋口一葉が登場します。「樋口一葉が(貧しい自分を経済的・精神的に支援してくれた)博文館のために書いた1作目『ゆく雲』は『文芸倶楽部』ではなく『太陽』の第5号に掲載された。2作目の『にごりえ』は『文芸倶楽部』に載り、どちらも好評を博し高い評価を得た。一葉の『たけくらべ』は、『文芸倶楽部』の創刊時他社の雑誌『文学界』に掲載されていたが、ほとんど注目されずにいた。それが博文館の『文芸倶楽部』に掲載されて樋口一葉の名声は一気に上がった。明治28年12月の『文芸倶楽部・閨秀小説号』に『十三夜』『やみ夜』を発表すると大ブレークして、初版3万部は数日で完売、重版も間に合わないくらいだった。樋口一葉は『文芸倶楽部』によって世に出ることができたが、そのとき余命は1年足らずという短い人生だった」。

「博文館は書籍・雑誌の出版事業が急激に増えたので、今までの販売方法では間に合わなくなっていた。そこで独自の卸売りシステムを作り上げた、それは既存の取次店や地方の大書店を売捌所に指定して、特別大売捌所(東京堂、盛文館)、特約大売捌所(64店)、特約売捌所(127店)、売捌所(995店)にランクづけしたものであった。この売捌所は創業3~4年後には1000店を超えた。売捌所はハワイに3店、アメリカ本土に4店、ウラジオストックに1店あり、海外にも進出していった」。ピラミッド型の販売網を築き上げたのです。

著者は、博文館の躍進・発展の要因を、7つ挙げています。
①廉価、多売を経営の基本に置いたこと。
②時代に適合した雑誌を次々と発行したこと。
③古典の翻刻を初め全集物を多く発行したこと。
④専門書、一般書など、あらゆる分野の出版を行ったこと。
⑤多くの優秀な人材を集めたこと。
⑥博文館コンツェルンを築いたこと。
⑦全国的な販売組織を築いたこと。

何と、尾崎紅葉の『金色夜叉』に登場する、お宮は新太郎の後妻が、そして、お宮を金の力で籠絡する金持ちは新太郎がモデルだというではありませんか。「間貫一のモデルが巌谷小波、お宮が新太郎の後妻須磨子と川田綾子、富山唯継が大橋新太郎である。・・・紅葉は小波が預けられていた川田家を鴫沢家に、川田綾子を第1のお宮にあて、第2のお宮には須磨子をあてた。ダイヤモンドでお宮をおとす、富山銀行の富山唯継は大橋新太郎。・・・『金色夜叉』が読売新聞に連載された同じ年、明治30年10月31日、大橋新太郎は須磨子と結婚した。新太郎35歳、須磨子19歳である。新太郎は須磨子と結婚する1ヵ月前の9月に先妻やま子を離縁している」。

明治20年に彗星のように現れ、疾風怒濤のごとく出版界を席捲した博文館が60年後に姿を消した原因を、著者が考察しています。
①新太郎の財界での活躍と、それに伴う出版離れ。
②新太郎には多くの子供がいたが、博文館を護れる才ある子に恵まれなかったこと。
③子供たちに経営の才能がないことを知りながら、後事を託す人材の開発を怠ったこと。それが優れた編集者・執筆者の博文館離れを誘い、出版物の質の低下を招いたこと。
④営業面では、時代の変化に対応できず、自社の売捌店制度に固執し、返品自由の販売方法やマスプロ・マスセールに乗り遅れたこと。
⑤返品自由制やマスプロ・マスセールといった新しいマーケティング手法を駆使する新興出版社――講談社、実業之日本社、主婦之友社など――が博文館の屋台骨を揺るがしたこと。

読み応えがあるだけでなく、いろいろな発見が楽しめる一冊です。