榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

経済的困窮に喘ぐ樋口一葉に、救いの手を差し伸べた編集者がいた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2626)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年6月25日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2626)

クモは同定が難しく、頭が混乱してしまったので、Sさんに助けを求めました。Sさんから、「写真1と2はコシロカネグモと思われる、写真3はイオウイロハシリグモかスジボソハシリグモと思われる、写真5はヤマトコマチグモかカバキコマチグモかハマキフクログモと思われるが、ヤマトコマチグモとカバキコマチグモは強毒グモなので要注意、写真6はヒシバッタの一種」との回答が寄せられました。写真4を見つけたとき、好奇心に負けて白い膜をめくってしまったのだが、中の住人に悪いことをしてしまったと猛反省。Sさんのような良き師を持てた幸運に感謝しています。

閑話休題、『米沢と文学――米沢ゆかりの文人たち』(千葉正昭著、社会評論社)で、とりわけ興味深いのは、樋口一葉を世に出す役割を果たした編集者・大橋乙羽(おとわ。男性)、井上ひさしが方言を多用する理由、鈴木由紀子の吉良上野介は悪人だったのかという疑問――の3つです。

●大橋乙羽
「明治28年3月29日、乙羽は、雑誌『文芸倶楽部』への寄稿を樋口一葉に依頼する。博文館支配人として働き4か月が経過していた頃である。この前後に乙羽は、半井桃水より一葉の面倒をみてくれとの伝言を受けていた可能性がある。一葉は、乙羽からの依頼の手紙を受け取って嬉しく思った。何故ならその後1か月を置かず、一葉は、『ゆく雲』を博文館に送付しているからだ。作品を受領した乙羽は、翌4月26日に一葉のもとを訪れている。『ゆく雲』が『太陽』に掲載されることを伝えるためであった。一葉は、初対面の乙羽を、『苦労人』、そして淡々と編集者としての夢を語った人として肯定的に認めている。これは、一葉の日記にもある。一葉のこの印象は、好く当たっていた。・・・この雑誌(『太陽』)に一葉の作品が掲載され、それが多くの文壇人たちやその他の文化人たちにも注目されたことは間違いなかった。博文館内では、『文芸倶楽部』より『太陽』への掲載が、一葉にとっても博文館にとっても宣伝効果があると判断したのである。・・・一葉は、乙羽の要求に沿って明治28、29年になかなかの奮闘を示す。よく後年の研究者たちに奇跡の13か月という呼称で括られた時期である。先ほど来の『ゆく雲』を含めて一葉が、博文館関係雑誌に掲載した作品を紹介してみよう。▶『ゆく雲』▶『経づくゑ』▶『にごりえ』▶『十三夜』▶『たけくらべ』。・・・才能がありながら女性ということで不遇をかこち、他方父親の事業失敗とその死亡の為、経済的困窮にあえいでいる一葉に、救世主として登場した人物が、編集者大橋乙羽であったのだ」。

●井上ひさし
「井上ひさしは、いくつかの小説やエッセイで米沢について言及している。それは、米沢が自分の故郷である旧小松町(現・川西町)と隣町関係で同じ置賜の一角であるという認識によるものかもしれない。・・・単純に政治批判ができる『自由』がある国こそが、柔軟性をもって固有の文化を生きつかせることができのだと、(小説『一分の一』の主人公)サブーシャの意図は、明快なもので至極シンプルなものでもあった。それ故、米沢の方言が冒頭で使われた、そして方言には、意味があった、<ズーズー弁の固有性を大事にする、あるいはそれを擁護するということは、地域の特異性を守ることでもあり大事なことである。土地の固有性を守るということは、大きくその国の特殊性を評価することでもある>という考え方でもあったのだ」。

●鈴木由紀子
「赤穂事件の吉良上野介義央は、本当に悪役だったのか。という疑問から出発した『義にあらず』は、米沢出身の作家鈴木由紀子の作である。・・・義央は、領民に喜ばれるような灌漑工事や干拓による田畑造成などをやってきた。あるいは、配偶者を一人の独立した人間として尊重する考え方も持っていた。だが一方で義央は、自己の趣味や感性の満足のため惜しげもなく散財する傾向があった。更に義央は、『高家』という職業に一種の麻痺感の状態になっていたとも考えられる。生前立像建立を、『驕り』とみる人もいたことは否定できない。・・・くどいようだが義央は、鈴木由紀子が語るように極悪人ではなかったのだ」。

本書のおかげで、知らなかった文人たちの一端に触れることができました。