世界文学の名作の主人公たちが勢揃い・・・【MRのための読書論(167)】
主人公ハイライト
世界文学は読んだほうがいいのは分かっているが、なかなか挑戦できないでいる、特に長篇には尻込みしてしまうという人に、お誂え向きの本がある。『世界文学の名作と主人公 総解説――知りたい・読みたい・話題の作品の全展望』(自由国民社)は、世界の名作のそれぞれが1~2ページで解説されている。「作品のアウトライン」、「作者の生涯」、「名文句点滴」だけでなく、「主人公ハイライト」が充実している点が本書の大きな魅力となっている。
本書をガイドブックとして、世界文学の高峰に挑戦するのもよし、時間的に読むのが困難な場合は、本書によって、その名作の概略を頭に入れるもよし――と、活用法はあなたに任されている。
フランス文学
例えば、デュマ・ペールの『モンテ・クリスト伯』(アレクサンドル・デュマ著、山内義雄訳、岩波文庫、全7冊)の主人公・ダンテスは、「権勢に屈せず悪徳と背信に生涯を賭して闘う復讐の鬼」と紹介されている。
プルーストの『失われた時を求めて』(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳、集英社文庫、全13巻)の主人公・「私」は、「『時』を超えた永劫不壊の世界を求めて精神的遍歴をする男」とされているが、さらに読み進めてみよう。「バルザックやスタンダールの小説を読みなれた読者は、『失われた時を求めて』を開いて、きっと驚くに違いない。というのは、この作品には『幻滅』のヴォートランや『パルムの僧院』のファブリスのように、情熱的な行動によってストーリーを展開させてゆく人物は一人もいないからだ。・・・主人公も作品のなかでは生きるというよりも観察することを旨としており、心に映ずる自然界の官能的な美しさや社交界の微細で醜悪な人間模様を精巧なレンズのように写し撮ったり、おのれの内面に寄せては返す感情と感覚の起伏をじっと味わい尽したりすることを主要な任務とする一種の虚点、言葉の正確な意味での反・主人公である。つまり、この小説の眼目は現実界で起こるようなさまざまな事件をそのまま描出するのではなく、主人公という観察器械を通して体験された、言葉で言い表すことの困難な感覚や心理を異常に息の長い喚起的な文体を用いて明るみに引き出すことにある(したがって文章をゆっくりと味読することがとりわけこの作品には要求される)」。
イギリス文学
モームの『人間の絆』(サマセット・モーム著、中野好夫訳、新潮文庫、上・下)の主人公・フィリップは、「無数の体験を経て平凡な生活に人生の幸福を見出す男」。
アメリカ文学
パール・バックの『大地』の主人公・王龍は、「貧しい百姓出身で死ぬまで土地に限りなく執着する大地主」。
ドイツ文学
ゲーテの『ファウスト』の主人公・ファウストは、「認識と活動の不一致に悩み苦しむ近代知識人の典型」。
ロシア文学
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の主人公・イワンは、「神を否定し人間の卑俗性をも嫌悪する超人主義的無神論者」。「作品のアウトライン」は、こんなふうに綴られている。「ものがたりは1860年代のロシアの地方都市の成金カラマーゾフ家の人々をめぐって展開する。父フョードルは・・・成上がり者で、抑制のきかぬ激しい情熱をもつ物欲と淫蕩の権化・・・次男イワンは大学の理科を卒業した24歳の聡明な青年であるが、父フョードルの人間蔑視が異なった形で彼に投影している。彼は神を否定し、『神の創ったこの世界を認めぬ以上、人間にはすべてが許される』という独自の理論を打ちたてる。無神論者であり、虚無主義者である。彼にもやはりカラマーゾフの血が流れている。それは兄ドミートリイの許嫁カテリーナに対する狂おしい思慕に現われる。・・・(カテリーナとグルーシェンカという)二人の女性をめぐって、父と子、兄と弟の複雑にからみ合った愛欲の闘いが演じられる中で、父フョードルが何者かに殺害されるという事件が起こる。・・・これが外面的な筋で、作品の内面的な筋は、(三男)アリョーシャをめぐって、ゾシマ長老とイワンの間に展開される思想の闘い、キリスト教と無神論の対決である」。
スペイン文学
セルバンテスの『ドン・キホーテ』の主人公、ドン・キホーテは、「現実と夢の世界を混同して猪突猛進する初老の騎士」。
上記の7作品のうち5作品は読み終えているが、本書のおかげで、残る2作品、読もう読もうと思いながら手付かずになっている『大地』と『ファウスト』に挑戦する勇気が湧いてきた。
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