本書のおかげで、マルセル・プルーストについて、いろいろ学ぶことができた・・・【情熱の本箱(355)】
『プルーストへの扉』(ファニー・ピション著、高遠弘美訳、白水社)のおかげで、マルセル・プルーストについて、いろいろ学ぶことができた。
第1は、1904年当時のプルーストが映っている動画が2017年に発見されたこと。「動いているプルーストの映像は初めてです。このフィルムを見て、プルーストの愛読者たちは、ビデオの男性がサン・ジェルマンの貴族とともに招待される客としてはあまりに質素で、飾り気のない服装をしているので、さぞかし驚いたことでしょう(検索サイトで『プルースト 動画』と検索すると出て来る1分あまりの映像。35秒くらいからよく見ると、階段を駆け下りてくる青年が映っているが、それがプルーストとのこと)」。
第2は、『失われた時を求めて』は、読者一人ひとりの好みに応じた読み方が可能だということ。
第3は、『失われた時を求めて』は、「自分自身の天職を求めて、1870年代から1920年代までの社交界や政界や文学界を生きてゆく作家志望のブルジョワの(物語を語るとともに、小説の主人公でもある)語り手を導くいわば秘儀伝授(イニシエーション)の小説」と、要約できること。
第4は、『失われた時を求めて』の登場人物の中で私が一番関心を寄せているシャルリュス男爵のモデルにされた人物が、プルーストに対し、どういう感情を抱いていたかが記されていること。「プルーストが主としてシャルリュスの人物造型のヒントを汲んだロベール・ド・モンテスキウは、戯画化された人物像が原因でプルーストのことを悪く思ったようです。アンドレ・ジッドも、女性的な同性愛者はグロテスクだと批判しました」。
第5は、タイトルの「失われた時」の意味が明かされていること。「タイトルに用いられた『失われた時』は、何より人が空しいことにかまけて無駄にする時間を指しています。それでは語り手もプルースト自身も、社交界と関わって時間を無駄にすることに絶望しただけ、という可能性があり得たのでしょうか。いいえ、そんなことは決してありませんでした。語り手もプルーストも、自ら書くべき本のために素材を積み上げ、それを通じて来たるべき書物のための修業をすることで失われた時間を豊饒に変える術を心得ていました。彼らは世界を、社交的法則や心理学的法則とともに解読する方法を身につけたのです」。
第6は、同性愛に対するプルーストの考え方が示されていること。「プルーストが明らかにした異性愛と同性愛の間に存在する真の違いとは、社会的かつ心理的な違いです。性的倒錯者は、個人的にも社会的にも生きづらさを抱えて生きていかなければならない少数派として烙印を押されます。しかし、恋愛について語るとき、プルーストはもはや両者に差をつけることがありません。『感情は同じで』『対象が異なる』(ソドムとゴモラ)だけだからです。ですから、一部の人たちがするように、アルベルチーヌはアルベールの変装にすぎないかどうか詮索することにまったく意味はありません」。