榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

捕虜収容所の冷え切った食堂で行われたプルーストに関する連続講義・・・【情熱の本箱(239)】

【ほんばこや 2018年6月12日号】 情熱の本箱(239)

収容所のプルースト』(ジョゼフ・チャプスキ著、岩津航訳、共和国)は、1940年から翌年にかけての冬に、ソ連の収容所でポーランド軍将校のジョゼフ・チャプスキが同房者たちに向けて行ったマルセル・プルーストに関する連続講義の記録である。

零下45℃にまで達する寒さの中での労働の後、捕虜収容所の冷え切った食堂で、このような講義が行われたのはなぜか。「何度も請願した結果、毎回テクストを事前の検閲に出すという条件で、ここでなら正式に講義をしてもいいことになった。仲間であふれ返った小さな部屋で、わたしたちはそれぞれ、自分がいちばんよく覚えていることについて語った」。これは、「精神の衰弱と絶望を乗り越え、何もしないで頭脳が錆びつくのを防ぐため」の、手元に書物がない故、記憶に頼っての講義だったのである。

講義が行われた特殊な状況に注目するだけでは、もったいない。プルースト好きの私には、講義内容も興味深く、学ぶことが多かったからである。

『失われた時を求めて』の数多の登場人物の中で私が一番注視するシャルリュス男爵については、こう語られている。「シャルリュス男爵の原型はモンテスキュー男爵です。この人物は当時の社交界で(その饗宴と独創性によって)最も際立った貴族でした」。

『失われた時を求めて』の中で私が一番好きなシーンは、このように述べられている。「ゲルマント邸へ向かう道すがら、もう文学的な野心はきっぱり捨てたと信じていた主人公(語り手の「私」)は、いまや明晰な熱狂のなかで、彼の人生に革命をもたらす呼び声をはっきりと聞きながら、パーティーの時間を過ごします。この集まりで、主人公は自分の人生に関わった多くの知人友人たちが、時の作用によって変貌し、年老い、膨れ上がり、あるいはかさかさに渇いてしまったのを目撃することになります。・・・『失われた時』の最終巻の最期の部分は、プルーストの死後、著者の校正を経ずに出版されたことを、わたしたちはもう知っています。しかし、この部分は、他の部分よりも先に書かれたのです。この作品のクライマックスと結論は、作家の個人的告白であると同時に、作品の始まりでもあったのだということを、証明する事実です」。時の恐るべき強烈な作用を受けたこの人々のかつての姿を甦らせることができるのは自分しかいないと確信した「私」は、長大な文学作品を書き始める決意を遂に固めたのである。そして、その作品こそ、『失われた時を求めて』だったのだ。

『失われた時を求めて』では、社交生活の空しさ、貴族の自尊心の空しさ、若さと美しさの空しさ、名声の空しさと無益さ、恋愛の空しさ――が生々しく描き出されていると、チャプスキが指摘している。

若さと美しさの空しさについて。「オデットは、最初は魅力的なお針子であり、スワンやほかの人たちの情熱の的でしたが、やがてスワンの妻となり、さらにフォルシュヴィル伯爵夫人となります。彼女は作品を通じて、女の誘惑を体現する存在ですが、最終巻では、娘のサロンの片隅でちぢこまる、ほとんど愚かな老女として描かれています。つねに贅沢とお世辞に慣れていた彼女が、今ではほとんど誰にも気づかれないのです。帰るときになって、みんなようやく近づいて深々とお辞儀をするのですが、彼女がサロンの外に出たとたんに、そんなことは忘れて、軽蔑と悪意を含んだ言葉で、彼女について大声で語り出します。そこでプルーストは、これまで何度も言ってきたように、残酷なまでの客観性を保ちながら、ふと思いがけなく優しい言葉を付け加えます。<生涯を通じてもてはやされ、崇められてきたこの女性が、いまや燕尾服と化粧で装ったこの獰猛な世界を、おびえと恐れのまなざしで見つめているのを見て、はじめて私は、彼女に対する同情を感じたのである>」。

恋愛の空しさについて。「恋愛をめぐる遊びや情熱や逸脱は、それに身を捧げた人に何をもたらすでしょうか。シャルリュス男爵は、年を取り、社交界の周縁へ追われてから、連れ込み宿で、まるで岩に縛りつけられたプロメテウスのような格好で、恐ろしいマゾヒズムに身を委ねます。それからわたしたちは、同じシャルリュスが、子供に戻ったように、目も見えず、歩くこともできず、チョッキ仕立屋のジュピヤンに手を引かれて歩いているのを目撃します」。

『失われた時を求めて』の重要なテーマの一つである肉体の愛の問題について、チャプスキは、どこまで踏み込んでいるのだろうか。「1914年以前に刊行された『スワン家の方へ』で、ヴァントゥイユの娘がレズビアンの愛に耽ったり、大貴族のシャルリュスが、オスカー・ワイルド風のスキャンダルのせいで社交界を這いずり回ったり、いかがわしいパリの売春宿でマゾヒズムの逸脱を目の当たりにしたりしても・・・。プルーストはすでにこの時点で、人間の魂の最も密やかで、多くの人が知らずにおきたいと願う領域に、その分析のランプの光を投射していたのです」。この背後には、プルースト自身の同性愛が強く影響を及ぼしていると、私は考えている。

プルーストの宗教観にも言及されている。「プルーストの作品にはいかなる絶対の探求もなく、あの長大な数千ページのなかに、『神』とう言葉は一度も出てきません。『失われた時』の主人公がすべてから去るのは、神の名のもと、宗教の名のもとにではありません」。

プルーストが、私の大好きなバルザックに私淑していたことを知り、嬉しくなった。「バルザックの作品を数ページにわたって暗誦してみせたことを、彼の友人たちが証言しています。しかもそれは、彼の直接のモデルで、彼が最も多くを学んだバルザック・・・。プルーストは多くの文体模写(パスティーシュ)を残しています。わたしはバルザックのパスティーシュを覚えています。正確さとユーモアに満ちたこの驚くべきパスティーシュにおいて、彼はバルザックの大げさで極端な続面を膨らませてみせています。・・・わたしの漠然とした記憶では、確かプルーストは、好きな作家の影響があまりに重くのしかかってくる場合に、そこから自由になる最良の方法は、パスティーシュを作ることだ、と言っていたはずです。プルーストがひとつひとつの言葉にどれだけの価値を与えたか、いつも病身で表面的と思われていたこの男が、どれほど熱心に文体を彫琢したか、それは驚くべきものです」。

プルーストに関心を持つ人にとっては、見逃すことのできない一冊である。