プルーストの母親はユダヤ人、本人は同性愛者なのに、『失われた時を求めて』の「私」がユダヤ人でなく、同性愛者でないのはなぜか・・・【情熱の本箱(371)】
『「失われた時を求めて」への招待』(吉川一義著、岩波新書)で、とりわけ興味深いのは、「『私』とユダヤ・同性愛」、「サドマゾヒズムから文学創造へ」の章である。
「プルーストの母親はユダヤ人であり、本人は同性愛者であった。しかるに小説の主人公『私』は異性愛者であり、その母親はユダヤ人ではない。おまけに『失われた時を求めて』には、ユダヤ人や同性愛者を揶揄していると受けとられかねない言辞があふれている。これはプルーストが自分に降りかかるユダヤの出自と同性愛の嫌疑をあらかじめ排除しておこうとする奸計だったのではないか、という疑念が提起されてきた。一見もっともな理屈であるが、はたしてそうなのか。これとも関連して、小説に描かれた『私』の娘たちへの恋は、プルーストが青年にいだいた恋心を女性へと振りかえたものにすぎない、という説もしばしば唱えられた。さらに、作中のジルベルトやアルベルチーヌらの女性像がぼやけて鮮明な輪郭を結ばないのもそれが原因で、結局プルーストには本物の女性を描くことができなかった、と主張する人もいる」。ここに挙げられた疑念は、まさに私が抱いている疑念そのものである。
「プルースト本人は、弟と同様カトリックの洗礼を受けていたから、もとより正統なユダヤ人とみなすことはできない。それでもプルーストはユダヤ系の友人たちに好意を寄せ、母親の先祖の宗教を尊重していた」。
「プルーストが自身のユダヤ性を強く意識したのは、19世紀末、ドレフュス事件によって激化した反ユダヤ主義の結果である」。
「プルーストは、世間の白眼視に直面したときにはユダヤの出自について発言を差し控える一方、激化する反ユダヤ主義を前に『ユダヤ人としては反ユダヤ主義を理解できる』と、差別する側の目で自己を見つめている。この視点が、作中のユダヤ人の描写を理解する鍵ではないか」。
「プルーストは、自己のユダヤ性を主人公の『私』には付与せず、それをスワンやブロックやニッシム・ベルナールらの登場人物へ割りふった。これら作中のユダヤ人たちがつねに揶揄され嘲笑されているように見えることから、プルーストを反ユダヤ主義者とみなす論者もいるが、筆者は与しない。・・・作家は、自己の体験をもとに、差別する他者(社会)が見つめたように、社交界で揶揄されるブロックやスワンを描いたと考えるべきだろう」。
アンドレ・ジッドが、前日のプルーストとの対話について、日記にこう記している。<女は精神的にしか愛したことはなく、セックスは男としかしたことはないと言う>。
「プルーストは自己の内なる同性愛者を、主体としての『私』には(自己正当化の危険を避けて)仮託せず、差別される客体として自己を眺め、それを作中の同性愛者たち、つまりシャルリュス男爵、ヴォーグーベール氏、ニッシム・ベルナール氏らに担わせたと考えられる。・・・いまやプルーストがなぜ同性愛者の屈辱と悲哀ばかりを描くのか明らかだろう。屈辱こそ人間精神のドラマを明るみに出す恰好の機会だからである。つぎのきわめて重要な一文は、プルースト自身が同性愛をいかに捉えていたかを如実に示している。<さまざまな障害にもかかわらず生き残った同性愛、恥ずかしくて人には言えず、世間から辱められた同性愛のみが、ただひとつ真正で、その人間の内なる洗練された精神的美点が呼応しうる唯一の同性愛である>」。
著者は、「『私』を同性愛者という設定にすれば、欺瞞の生じる余地のない真摯な物語が書けるのだろうか」、「かりにプルーストが自己の同性愛体験を赤裸々に語ったとしたら、うそ偽りのない『失われた時を求めて』が書けたのだろうか」と、私たちに問いかけている。
著者・吉川一義のサドマゾヒズム論には、はっきり言って、賛成しかねる。サディズム、マゾヒズムを、「みずから自身に苦痛を与えるのはサドマゾヒズム」、「わが身に苦痛を背負いこむ人間がサドマゾヒスト」、「恋に苦しむ『私』もまたサドマゾヒスト」だと、性的指向という枠を乗り越えて、あまりにも広範囲に捉え過ぎているからである。
鈴木道彦訳の『失われた時を求めて』(集英社文庫、全13巻)を全巻読破した『失われた時を求めて』大好き人間の私にとって見逃すことのできないことが、本書には書かれている。
1つは、「晩年の作家(プルースト)は自宅に籠もってコルク張りの一室で『失われた時を求めて』の執筆に専念したというのは、後世がつくりあげた神話にほかならない」という指摘である。
もう1つは、プルーストは、ビルドゥングスロマン(教養小説)であるゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』と、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』を否定し、批判していたという記述である。