『ディスタンクシオン』は20世紀版『人間喜劇』であり『失われた時を求めて』だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2778)】
カワセミの雄(写真1)が陽を浴びて緑色に輝いています。カワセミの羽は構造色なので、青く見えたり、緑色に見えたりします。クサシギ(写真2~4)、セグロセキレイ(写真5)、ハシビロガモの雄(写真6)、雄のエクリプス(写真7)、雌(写真8)、コガモの雄と雌(写真9)、雄(写真10)、雌(写真11)をカメラに収めました。ラクウショウの落葉(写真12)は橙色の絨毯のようです。因みに、本日の歩数は11,351でした。
閑話休題、対談集『多様性の時代を生きるための哲学』(鹿島茂他著、祥伝社)で、とりわけ興味深いのは、鹿島茂と石井洋二郎の対談「自分が自分であることの意味――格差時代に読むブルデュー『ディスタンクシオン』」の章です。
「『ディスタンクシオン』は20世紀版『人間喜劇』であり『失われた時を求めて』だ」と言われては、バルザックの『人間喜劇』とプルーストの『失われた時を求めて』大好き人間の私としては、ブルデューの『ディスタンクシオン』を無視するわけにはいきません。
「●鹿島=『ディスタンクシオン』という本は、われわれバルザシアンに言わせると、20世紀版の『人間喜劇』なんですね。バルザックが『人間喜劇』という小説群で描いた世界が社会学として描かれているのが『ディスタンクシオン』である、と。だからバルザックを読んでいる人間には、『ディスタンクシオン』が隅々まで手に取るようにわかるんです。ちなみにバルザックの『人間喜劇』を仮想ライバルとしてマルセル・プルーストが書き上げたのが『失われた時を求めて』です。だから『失われた時を求めて』も、同じように『ディスタンクシオン』の理論が完全に当てはまるんですよ。とはいえ、『ディスタンクシオン』を実際に翻訳しようとするとこれは大変なことになる。僕に当てられなくてよかったと思います。しかし石井さんは見事に大役を果たされた。・・・また、石井さんは『差異と欲望――ブルデュー<ディスタンクシオン>を読む』という本も書かれていますが、これは僕が感じるかぎり、『ディスタンクシオン』を理解する上では世界でいちばんわかりやすい本ですね」。
「●石井=バッハあたりはちょっと高尚な趣味だけど、ヨハン・シュトラウスはかなり大衆的だとか、クラシックはクラシックの中で差別化があって面白いです」。
「●石井=子どものころから豊かな文化的環境に育てば、その分豊かな文化資本を獲得する可能性が高くなるのも事実です」。
「●石井=『ディスタンクシオン』は確かに手ごわい書物ですが、じっくり読めば『自分が自分であることの意味』とはいったい何なのかを考えるためのヒントが得られますので、一度は挑戦してみる価値があると思います」。
鹿島も、「『ディスタンクシオン』はとても読みにくくて、『失われた時を求めて』とどちらが難しいかというぐらい難しいんですが、石井さんの『差異と欲望――ブルデュー<ディスタンクシオン>を読む』を読むと、『これはそうだった、そうだった』と分かることが多いと思います」と言っているので、先ず、『差異と欲望』に挑戦することにします。
鹿島と宇野重規の対談「民主主義とは何か――トクヴィルの政治思想から」の章も見逃せません。「プラグマティズムを作ったアメリカの哲学青年たち」、「革命なしでも社会を変えられるという信念」、「選挙制度を面白くする余地はまだある」と、頗る刺激的な内容だからです。
鹿島とドミニク・チェンの対談「わかりあえなさをつなぐということ――ベイトソンと接続、情報、コモンズについて」の章も読み応えがあります。「理工系と人文系とで異なる『情報』の定義」、「ITビジネスの倫理的ジレンマ」と、知的好奇心を掻き立てられます。