榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『失われた時を求めて』で一番重要なのは、最終章のマチネの場面だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(938)】

【amazon 『プルースト 読書の喜び』 カスタマーレビュー 2017年11月12日】 情熱的読書人間のないしょ話((938)

東京・恵比寿の日仏会館で開催中の「辻邦生――パリの隠者」展と、その開催記念講演会「辻邦生の読んだプルースト」(講師:保苅瑞穂)で、至福の一時を過ごしました。私の大好きなマルセル・プルースト、辻邦生、保苅瑞穂の三者揃い踏みですから、至高の組み合わせです。保苅の講演はプルーストと辻への愛が籠もった、含蓄に富んだもので、『失われた時を求めて』の主人公の「私」が最終章のマチネの場面で小説を書かねばという啓示を受けたのと同じように、パリ留学中、文学で悩んでいた辻が『失われた時を求めて』に出会い、マチネの場面を読んで小説を書く意義について啓示を受けて救われたという考察は印象的でした。展覧では、辻が多くの原稿を書いた机と、MANGUA(パリ留学中、パリの国立図書館で勉強に励んだ辻と妻・佐保子がお喋りで周囲に迷惑をかけぬよう互いに交換し合ったマンガ)に興味を惹かれました。

プルーストを鍾愛する保苅瑞穂の手になる『プルースト 読書の喜び――私の好きな名場面』(保苅瑞穂著、筑摩書房)では、『失われた時を求めて』の魅力が存分に描き出されています。

「主人公は恋愛や社交界での付き合いを重ねるなかで、ますます真の幸福から離れて行く。かれがそれを掴むためには、年老いて、死が近づいて来るのを感じながら、最後にそれが自分にとっての真実だと確信できたもの、つまり無意識の記憶の真実を小説に描くことを決意する」に至る時の経過が必要だったのです。この意味で、この作品は恋愛小説であり、風俗小説であり、社交界小説であり、かつビルドゥングスロマン(教養小説)でもあるのです。

「われわれは小説を読みすすんで行くうちに、この娘たち(いわゆる、花咲く乙女たち)だけでなく、小説に登場するほとんどすべての人物が時間を通して描かれていたことに気づかされる。その変化の最後にやって来るのが老いであり、死である以上、プルーストが小説の最後に、死の舞踏と呼んでもいい場面を用意して、登場人物たちの変わり果てた姿を描くことになるのは、小説の構想として自然なことである」という著者の指摘は、さすがです。

「長い小説の最後を飾るのは、ゲルマント大公夫妻の邸宅で催されるマチネ(午後の集い)の場面である。その場面でわれわれ読者は主人公とともに、小説がはじまってから、少なくとも半世紀に近い年月が流れたあとで、まだ生き残っている登場人物の変わり果てた老残の姿と再会することになる。目に見えない時間というものの実体をその姿に託して、目に見えるように描こうとした作者の意図がそこにあることはいうまでもない。それにしても、このマチネでの一連の場面はすごい」。「しかし、この一節でプルーストが描こうとしているのは、単に目に見えない時間の推移だけではなかった。それは、その時間の推移が人間にもたらす、避けようがない境遇の変転であり、零落の哀れさである。地上のいかなる栄華も、人間のいかなる驕りも、変化を免れることはできないという無常観」を、プルーストは示したかったのである。そして、「人間が一方では時間によって肉体を蝕まれながら、しかし他方では、その時間を記憶として内部に持つことによって、人間の精神がいかに大きな、深い存在になりうるか」というプルーストの到達点が、私たち読者に救いを与えてくれるのです。