信濃国の松代藩真田家文書に残された、百姓たちが起こした訴訟の一部始終・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1732)】
野鳥観察会に参加し、42種を観察することができました。カワラヒワ、アオジの雌、カワセミの雄、オオアカハラの雄、キジの雄、コガモの雄、雌、ヒドリガモの雌、バン、アオサギ、ダイサギをカメラに収めました。寒空の下、観察会には野鳥観察少年も元気に参加しています。因みに、本日の歩数は16,437でした。
閑話休題、『武士に「もの言う」百姓たち――裁判でよむ江戸時代』(渡辺尚志著、草思社)は、私の江戸時代の百姓観を根本から覆してしまいました。
本書の白眉は、信濃国(現・長野県)の松代藩真田家の領内で起こされた訴訟の経過が詳しく記されている部分です。「この一件は、村の名主を誰にするかという問題に端を発して、村財政の不正疑惑追及へと展開していきます。そして、村のなかだけでは収拾がつかずに、松代藩による裁判となりました。そこでは、証人尋問、証拠調べ、和解の試みなどがなされるとともに、原告・被告双方は自らの利益を賭けて、互いに主張をぶつけ合い、ときには突然前言を翻したりしました。裁判の裏側でも、さまざまな駆け引きがなされていました。そうした過程の全体を、つぶさにみていきたいと思います。なお、本書で松代藩を対象に選んだのは、訴訟・裁判に関する史料がたいへん豊富に残されているからです。しかし、本書の事例はけっして特殊なものではなく、訴訟・裁判のあり方はほかの藩でも多かれ少なかれ共通していました。たったひとつの訴訟という小さな窓からでも、江戸時代における百姓と武士の関係の特質という大きな問題がみえてきます」。
第一幕は、名主の選挙をめぐる、義兵衛(ぎへえ)派と弥惣八(やそはち)派の激突です。「この一件の発端は、村の名主(村運営の最高責任者)を誰にするかということでした。義兵衛と弥惣八という2人の有力候補があがり、村内が二派に分かれて、いずれとも決めかねる状況になりました。義兵衛は従来村運営を中心的に担っていた人物でしたが、弥惣八が、従来の村の財政運営に不正があったとして義兵衛を激しく批判したことから、事態は村財政の不正疑惑問題へと拡大していくことになります」。
第二幕は、武士による吟味と、弥惣八派の瓦解です。「村財政の不正疑惑をめぐる問題は村内では解決がつかず、松代藩の法廷にもちこまれました。ここにおいて、百姓同士の争いに武士が深く関わってきます。藩の担当役人は、それまで藩が南長池村に関わってきた経緯や、仲裁に入った百姓の意見などをふまえて、義兵衛派に有利なかたちで吟味を進めました。そのため、当初弥惣八派だった百姓たちも、形勢不利とみて、相次いで義兵衛派に転向しました。形勢は一気に義兵衛派有利に傾き、この一件は義兵衛派の勝訴で決着がつくかにみえました」。
第三幕は、明るみに出る、義兵衛派の村財政私物化です。「義兵衛派に有利に進んでいた吟味の流れは、ひとつの証言によって大逆転することになります。蓮証寺住職の息子が、覚悟を決めてそれまでの主張を撤回し、弥惣八派を全面的に支持したのです。この魂の主張に藩も動かされ、それまでの吟味は白紙に戻されてゼロからの再審理となりました。すると、村財政の不明朗な実態や、立入人三郎治の暗躍など、義兵衛派に不利な事実が次々と明るみに出てきました。こうして、吟味の様相は一変することになるのです」。
最終章は、評定所での判決と、その後です。「争点が複雑に絡み合い、二転三転した吟味も、ついに決着を迎えます。ここまでの流れからは、弥惣八派の逆転勝訴かと思われましたが、簡単にそうはならないのが江戸時代の裁判でした。藩の基本姿勢は、事実と法律にもとづいて黒白をはっきりつけることよりも、事態を丸く収めて両派の対立関係を修復するところに主眼がおかれました。司法判断よりも、政治的判断を優先させたといえるでしょう。そこに、今日とは異なる、江戸時代の裁判の特質が浮き彫りにされてきます。しかし、そうした判決で、弥惣八派を納得させることは至難の業であり、判決の言い渡し日が近づくにつれて、藩の奉行たちの間で緊張が高まっていきました」。
「江戸時代の後期には、村や地域における自治の発展、生産力の上昇による民冨の蓄積、寺子屋の普及による百姓の文化水準の向上、こうしたさまざまな要因によって、百姓たちの政治的・経済的・文化的力量は高まっていきました。こうした民力の上昇を背景として、百姓たちは武士に対して『もの申す』ようになります。その先頭に立っていたのが、弥惣八ら「自己主張する強情者」だったのです」。
実に読み応えのある一冊です。