『源氏物語』に「輝く日の宮」という巻が存在したのか――丸谷才一が謎に挑戦・・・【情熱の本箱(309)】
『源氏物語』の「桐壺」の次に「輝く日の宮」という巻があったのではないか、あったのなら、なぜ現存していないのか、いや、そんなものは存在しなかった――と、議論が囂(かまびす)しい。『輝く日の宮』(丸谷才一著、講談社文庫)では、丸谷才一が小説の形を借りて、この謎に果敢に挑戦している。
本作品は、いかにも丸谷らしい、よく練られた小説であるが、私の関心は、①丸谷は「輝く日の宮」という巻が存在したと考えているのか否か、②存在したと考えているなら、我々がそれを目にすることができないのはなぜか、③もし、その巻が存在したのなら、それにはどういうことが書かれていたのか――の3点である。
①については、紫式部は確かに「輝く日の宮」の巻を書いたというのが、丸谷の見解である。
②については、時の最高権力者であり、紫式部の雇用主であり、性的パートナー(愛人)であり、かつ、『源氏物語』執筆の支援者・協力者でもある藤原道長が、明確な意図を持って「輝く日の宮」の巻を『源氏物語』から外したと、丸谷は推考している。
③については、丸谷作の「輝く日の宮」の巻の全文が巻末に提示されている。
「紫式部の作風には『蜻蛉日記』の影響が大きいのではないかといふのだ。第一の巻『桐壺』の書き方は童話かロマンスのやうで、写実的な人物描写とは言ひにくい。ところが『帚木』からは調子が変つて、風俗と人情を重んずる近代ふうの本格的な小説に近づく。あるいはその手の小説そのものになる。『源氏』以前にはああいふ書き方はなくて、『竹取物語』だつて『伊勢物語』だつてずつと素朴だから、あの変化は何のせいだらうとかねがね疑問に思つてゐたけれど、さつき、ふと、闇のなかで男の寝息を聞きながら、『蜻蛉日記』の一場面を思ひ出した」。本小説の主人公である日本文学者・杉安佐子が「輝く日の宮」の巻の謎を解こうと、頭を絞っているのである。丸谷は、『蜻蛉日記』を紫式部に貸したのは道長であり、紫式部は『蜻蛉日記』から写実的な人間の捉え方を学んだと考えているのだ。
「(道長は)一つには、懐妊した娘(中宮・彰子)の周囲を自分の勢力下の者で固めたい、そのためにはしつかり者の女中に手をつけて置くに限る、といふ策略があつた。それにもう一つ、評判の物語の作者は道長の召人(めしうど。妻妾に準ずる同居者)だとしきりに取り沙汰されてゐる様子なのに何もしないのでは男の沽券にかかはる、といふ気持もあつた。そんなあれやこれやでかういふことになつたと思ふ」。紫式部は、こういう肉体関係になったことを嫌がるどころか、むしろ誇らしく思っていたというのだ。
「(紫式部は)翌日の夜、今度は戸を開けて(道長を)招じ入れる。寝物語になつて、しばらくしてから女は言つた。『巻が一つ除いた形で出まはつてをりますので、びつくりしました』と。抗議とか不満とかぢやなく(そんなこと口にできる立場ぢやない)、ごくあつさりと。男は笑つて、『あのほうがいいと思つてね。どうでした?』なんて訊ねる。何しろ著作権などといふ概念はない時代だから、平気である。そこで女はつぶやく。『花落林間枝漸空、多看漠々灑舟紅。季節はづれですけれど』と。上機嫌で笑ふ男の体の動きが女の裸身にいちいち伝はる。これは彼が二年前に作つた漢詩の出だしの所。・・・『輝く日の宮』が削られたせいでまるで桃の花が散つたみたいに枝(物語それ自体)が寂しくなりましたが、でも紅い花(『輝く日の宮』の巻)がちらちらと舟に降りそそぐやうで、これはこれで風情がございます、と引用によつて述べた。相手の作つた詩を暗誦して答へるのはもちろん社交的礼節。・・・若い娘とのこともよいが年増との共寝はいつそう楽しい味のものなどとお世辞を言ひ、女が笑つて受け流すと、一転して少年のころの思ひ出話をはじめた。・・・添臥してゐる三十女は権力者の回想を、テープ・レコーダーのやうになつて聞いてゐた」。
「紫式部が『つまりあの巻が出来が悪いのでございますね』と言ふと、道長はそれにはすぐに答へずに、『たとへば最初の巻などは、まだ筆が伸びてゐなくて拙と言へば拙だが、しかし巧拙を超えたおもしろさがあつて、それが別種の、何となくお伽話めいた効果をあげてゐた。そのことはおわかりでせう。でも、次の巻は、さういふ特殊なよさもわりあひ薄いやうな気がする。あそこは瑕瑾だな。抜いたほうがいいと思って、さうした』などと説明する。さらには、『おや、伝へてなかつたか』などととぼけたりして。道長はさらに、除くことによつてかへつて余情が出る、余韻が生ずると教へた。絵でも詩でも、名手はこの手をじつに巧みに用ゐる。それをもう一つ派手に仕掛けるだけのことさ、などと。・・・『輝く日の宮』を書き直させないで湮滅するといふ手を思ひついたのは、いかにも彼らしい。ずるくて、しやあしやあとしてゐて、後くされがない。紫式部もかなり感心したのぢやないか。ほじめは呆気に取られてゐたが、『帚木』を書き、『空蝉』『夕顔』と進んでゆくと、だんだん気持が変つて、すごい解決策だと思ふやうになつた。現実処理の能力といふか、工夫の才に舌を巻く思ひだつた」。
丸谷の小説『輝く日の宮』は、傑作と言えるだろう。また、紫式部が道長の召人であったことは確かだろう。しかしながら、『源氏物語』の「輝く日の宮」の巻はそもそも最初から存在しなかったと、私は考えている。その理由は、3つある。第1は、「桐壺」の巻で藤壺の宮は「輝く日の宮」と呼ばれているが、『源氏物語』の巻名はいずれも漢字1~3文字であり、「輝く日の宮」といった冗長な巻名を紫式部が付けるはずがないと思われること。第2は、「桐壺」から「帚木」の間に「輝く日の宮」の巻がなくとも、ストーリー展開に問題が生じていないこと。第3は、「若紫」の巻で、源氏が里帰り中の藤壺の宮を訪ね、無理やり一夜を共にし、これが藤壺の宮の懐妊をもたらしたことが書かれているので、「輝く日の宮」の巻がなくとも、読者は密通というただならぬ二人の秘密を知ることができるからである。なお、藤壺の宮は、過去の一夜の源氏との密会に罪悪感を抱いているのに、女房に手引きさせて寝所に入り込んできた源氏と、またこういうことになってしまったのである。