榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

清少納言がライヴァルについて、男性遍歴について語っている・・・【山椒読書論(183)】

【amazon 『月の輪草子』 カスタマーレビュー 2013年5月1日】 山椒読書論(183)

月の輪草子』(瀬戸内寂聴著、講談社)は、摩訶不思議な本である。90歳の清少納言と90歳の瀬戸内寂聴が渾然一体となっているのだ。

清少納言が寂聴に乗り移ったのか、寂聴が清少納言に魅入られてしまったのか。その清少納言は20代の思い出に浸るかと思えば、90歳の現状を語る。

「わたしはさて、何歳になったのだろう。自分の年齢さえほとほと忘れてしまうほど長く生きてしまった。生き過ぎた。いや、生き飽きた。『ただ過ぎに過ぐるもの、帆かけたる舟、人の齢、春、夏、秋、冬』とか、はるかな昔、『枕草子』に書いたような気がする。こう思い出して口にしてみても、ずいぶん気どった気障な文章だ。何しろまだあの頃は若かったのだ、何につけ自分を実質以上に人によく見せようとして、一挙手一投足に気を配り、神経を張りつめていた。言葉づかいの一言だっておろそかにはしていなかった。大した中味もない癖に、さも学あり気に振る舞っていた。思い出しても恥しいことばかりだけれど、あの頃はよくも悪くも人の口に自分の名がのることが得意で、それが生き甲斐になり、いつでも胸が緊張と期待でわくわくしていたものだ」。

「『枕草子』には、(清少納言が8年間仕えた)中宮(定子)さまをお慰めするという目的のために、書きつづったから、華やかで明るいことばかりしか書きとどめていない」。

ライヴァル・紫式部への思いも語られる。「『枕草子』が今も読まれ、後の世まで残るかも知れないように、いやそれ以上確実に、紫式部の書いた『源氏物語』は後世に読みつがれるであろう。わたしは紫式部が大きらいだった。向うもわたし以上にわたしを嫌っていた」。

当時、本朝三美人の一人と言いはやされた藤原道綱の母についても言及している。「『蜻蛉日記』は、わたしどもの母の世代の作品になるが、その迫力はこれまでの古物語には見られないものだった。こんな秀れた作品を書く作者は、実に高慢で自尊心が高く、恋仇に対しての意地の悪さは、呆れはてるばかりである。要するに人を感動させる物語を書ける人というのは、人一倍意地が悪く、辛辣な人柄でないと不適格のようだ」。ここまで書かれては、『蜻蛉日記』を読まずに済ますわけにはいかなくなってしまった。

清少納言が二度結婚し、子供を二人儲けたと語っているのには、びっくりした。さらに、「結婚までには至らなかったものの、秘かに情を交した男たちも二人や三人ではない。粋な情事をしようと思っても、いつの場合もその男にのめりこみ、全身を恋の炎で焼けただれさせるのは、わたしだった。男のせいなどとは口が腐っても言いたくない。だまされた、捨てられたと泣いて恨む女を見るだけで、叩きのめしてやりたいほど腹が立つ。尽したのに報われないと恨めしげに愚痴る女も蹴飛ばしてやりたくなる」。そして、当時の最大の実力者にして、定子のライヴァル・彰子の父親である藤原道長とも・・・。

この小説は、清少納言の口を借りて、寂聴が自分の本音を語っているのかもしれない。