『源氏物語』は、『蜻蛉日記』の物語文学否定論に対抗して、物語文学肯定論を主張するために書かれた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2102)】
突如、10羽ほどのカケス(写真1~7)の群れに出くわし、夢中でシャッターを切り続けました。30分ほどのことだったが、134枚も撮っていました。シロハラ(写真8)、モズの雌(写真9)、ヤマガラ(写真10)、セグロセキレイ(写真11、12)に出会いました。セグロセキレイは凍ったハス田の上で危なっかしい足取りです。
閑話休題、『文学はなぜ必要か――日本文学&ミステリー案内』(古橋信孝著、笠間書院)で、とりわけ興味深いのは、「竹取物語はなぜ書かれたか」、「源氏物語はなぜ書かれたか」、「平家物語はなぜ書かれたか」の3篇です。
●竹取物語――。
「この物語の書き手はさまざまな人間を書きたかったと思われる。それは人間への興味である。平安貴族社会は個人への関心が前面に出た時代だった。・・・(かぐや姫に対する求愛者)五人のうち二人が恋のためにこの世から消えてしまうのである。恋を青春のものとすれば、青春に命をかけた男たちの物語となる。そして、この『恥』という心の動き方が、個人の心を問題にする物語文学の注目したものでもあった。平安期の物語文学では世間の評判、世の噂が人の行動を決める場合がしばしばある。その意味では『竹取物語』の五人の求婚譚の最初の石作皇子の話が『恥を捨つ』だったことも、物語文学の最初のものとしてふさわしいものであった」。
「かれらはそれぞれさまざまな試みによってなんとかかぐや姫を手に入れようとして失敗し、『恥』をかいてこの世から消えていった。しかし恋に命をかけるのは青春の輝きではないか。誰だってたいてい一生のうち一度は輝くことがある。それがこの世であり人生であり、物語本学はそういうことを書いていくというのである。したがって、『竹取物語』は辛いことの多いこの世に生きている人々を書くことを宣言するために書かれた。物語文学が書く方向を決めた作品だった」。この鋭い指摘に、目から鱗が落ちました。
●源氏物語――。
「日記文学は(藤原道綱母の)『蜻蛉日記』が生活にそって心の真実を書くことを始めたことによって、物語文学を心の真実を書くという方向に導いた。書き出しをみてみよう。・・・古物語には男女のことが多く書かれているが、『そらごと』であるといっている。古物語が身分の高い男に見初められて幸せになるという内容が多かった。だから自分は摂関家の男に見初められたが幸せといえるのか、「そらごと」ではないかと思うのである。そして身分の高い男と結婚した女の人生がどんなものか、自分のことを書いてみようという。自分のことを書くので『日記する』といっている。日記を書く動機が書かれているわけだ。この書き出しは物語を意識したものである。そして、物語には嘘が書いてあるから、自分の体験である事実を書こうとして、日記を書くことを述べている。図式化すれば、物語―そらごと←→事実―日記 となる」。
「『蜻蛉日記』は月日を明確に記していない。日記でありながら、暦の時間に縛られていない。自分に重要なことなど選び、書き手の内的な時間によって書いているといえる。この内的な時間が『源氏物語』に受け継がれた。『源氏物語』は前の作品を受け継いでいるが、すらすら書けていったのではない。光源氏が栄華の頂点に達するまでを第一部、『若菜』の巻から始まる、源氏が苦悩し始め、紫の上が亡くなり。書かれていないが、源氏が亡くなるまでを第二部、源氏の孫の時代を第三部として分ける見方がなされている。この第一部は、源氏が何事にもすぐれた人物として書かれており、それ以前の古代物語の主人公にふさわしい。しかし、第一部を書いていくなかで、書き手は成長していく。というのは、『源氏物語』は怪奇物語として『夕顔』を、おこ物語(笑いを誘う物語)として『末摘花』を、人妻との恋を『空蝉』で、というように、さまざまな物語を自分で書いていくことをしていると思われるからである。書いていくなかで書き手は成長する」。
「(紫式部は)真実を書いているのは物語だというのである。この物語の『そらごと』は近代文学の『虚構』という概念に当たる。紫式部は近代に通じる文学観をもっていた。この(『源氏物語』の『蛍』の巻の)物語論は『蜻蛉日記』を受けている。『蜻蛉日記』は物語は『そらごと』を書いているから、私は事実を日記として書くといっていた。この考え方を『源氏物語』はひっくり返している。『蜻蛉日記』を受けて、事実と真実を分け、事実を受け手の心の問題としたのである。そして心の真実は『そらごと』である物語文学こそ書けるのだといったのである。この考え方は、紫式部が真実をどのように伝えるかという最も普遍的な問題に出会ったことを意味している。この文学観が書かれている『蛍』巻は第一部の後半にある。たぶん、紫式部は第一部を書いているなかで、この問題に気づいた。いったん気づいてしまうと、古代物語的な主人公を書いていくことはできなくなるだろう。そこで第二部の、解決できない問題に苦悩する光源氏という構想が明確になっていったと思われる」。
「『蜻蛉日記』の物語文学否定論に対して、物語文学肯定論を書かなければならなかった。そのために『源氏物語』を書いたのである」。『蜻蛉日記』の物語文学否定論に対抗するために『源氏物語』が書かれたという主張には、脱帽あるのみです。
●芸家物語――。
「無常観と潔さ、殺すことなどは必ずしも矛盾しない。この世のあるがままを受け容れ、そこに無常を感じることが仏教なのだと思う。『平家物語』は無常を深く知るための物語なのである。仏教に覆われていることがそのまま諦念によって湿っぽくなることを意味しない。むしろ、諦念ゆえに潔く死ぬことを受け入れる態度がある。この態度が逆に武士たちを活き活きと活動させているように思える。それが物語というものなのだ」。
「『平家物語』は鎮魂と同時に、新たに秩序の始まりを語るものであったという言い方ができる。・・・それだけではない。『平家物語』は教養を広める役割ももっていた。・・・琵琶法師は『平家物語』を語り歩くことで、全国に共通の教養を広める働きをしたことになる。もちろん、この語り出し部に示されているように、仏教を基本としてのことである。教養はものを考える基本の知識である。その教養が全国共通になることは、全国に共通の考え方ができていくことを意味している。古代とは異なる、仏教を基本とした共通の基本的な教養が成立していったのである。それは蒙古来襲もあり、日本という共同性を作っていくことになった。その意味でも、『平家物語』は新たな時代の始まりを語るものだったのである。・・・新しい時代の始まりは負の側からしか語れなかった。それが平氏の滅亡という前時代の終わりを語ることであった」。『平家物語』は新時代の始まりを告げるものであり、同時に教養を広める役割を果たしたという推考は、説得力があります。
知的好奇心を掻き立てられる一冊です。