戦国時代には、意外な風習がいろいろあったのだ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1788)】
ホトケノザ、オオイヌノフグリ、ハナニラが咲いています。私は、何種類かの果物が側にないと落ち着かないほどの果物大好き人間だが、完熟していない、歯応えのある、やや固めのものが好みです。女房に止められたのに求めた緑色のバナナは、さすがに食べられませんでした(涙)。因みに、本日の歩数は10,017でした。
閑話休題、『戦国 忠義と裏切りの作法』(小和田哲男監修、G.B.)では、戦国時代の意外な風習がイラスト付きで紹介されています。
「午後2時には帰宅! 超ホワイトな家臣の仕事事情」には、驚かされました。「現代のサラリーマンのように毎日出仕していたわけではなく、家臣は必要に応じて仕事に出かけていた。・・・身分の低い家臣が出仕しない日は、生活の糧を得るための畑仕事を行った。出仕した日は、午後2時には仕事が終了。現代の感覚からするとかなり早めの時間帯であるが、帰宅して夕食をとる。現代の朝昼夕の三食ではなく、朝夕の一日二食だった」。
「下級家臣は床がなく、藁を敷いて寝ていた」。
「武士はバニラのような甘い香りを漂わせていた」。
「騎馬武者はポニーのような小さな馬にまたがった」。
「戦国末期は多くの武士がニートになった」。
「朝廷にお金を払えば官位を買うことができた」を読んで、いろいろな武士が○○守と名乗る謎が解けました。「戦国時代になると、律令制の下で成立した官職の名を、武将たちがこぞって名乗るといった現象が見られるようになった。とりわけ人気だったのが国司の職である。・・・(守護大名の力が強まるにつれ)たとえば、筑前守と称しつつ任地の筑前には足を踏み入れたことがないどころか、筑前に関するなんの権利も持たない。そんな状況が当たり前になっていったのである。ところがそんな有名無実と化した官職にも、新たな利用価値が生じる。戦国大名の一部が、箔をつけるために国司の職名を僭称するようになったのだ。いったもの勝ちというわけである。そして室町幕府の支配力が衰えると、下剋上によって台頭した新勢力の中から、朝廷に献金を行い、幕府の頭越しに官位を得るケースが増えた。いくら戦国の世とはいっても、実力のみで頭角を現すにはいささか不足。そこはやはり名を必要としたのである。領国支配の正当性と優位性を示す意味でも、『~守』『~介』の官職名はものをいったのだ。・・・献金によって官位が与えられるとはいえ、大名に至っては僭称する者が多かったようだ。そのうえ大名家の家臣の間では、ひとつの役職を複数の家臣が名乗るという事態まで生じるようになった」。
いろいろと勉強になる一冊です。