俵屋宗達、伊藤若冲、松花堂昭乗、与謝蕪村、歌川国芳らの「かわいい絵」が勢揃い・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1886)】
ハルシャギク(ジャノメソウ、ジャノメギク)が群生しています。ヒメヒオウギズイセン、アカンタス(ハアザミ)・モリス、トウギボウシ、ホスタ(ギボウシ)・デルタドーンが咲いています。我が家の庭で、コクチナシが咲き始め、芳香を放っています。
閑話休題、『かわいい江戸の絵画史』(金子信久監修、久保恵子文、エクスナレッジ)は、江戸時代の「かわいい絵」に焦点を絞った絵画史です。
「近年まで、『かわいいもの』は美術史の中で軽くみられてきました。豪華な美術や厳かな美術に比べて、『ちょろい』『低俗』と思われていたようです。しかし、いったん『かわいいものがどう表現されてきたか』に興味をもって日本の美術を見渡せば、目を見張るような画家の技術やアイディアが浮かび上がります。画家たちは、子供や動物のかわいい姿や動きを再現することはもちろん、絵だからこそできる、現実にはあり得ないかわいいものにも挑んでいます」。
単純化とデフォルメでかわいく描いたのが、俵屋宗達と伊藤若冲です。「17世紀から18世紀にかけての江戸時代前期、『かわいい絵画』の歴史の幕が開きました。草創期の中心を担ったのは、俵屋宗達です。『町衆』と呼ばれる極めて裕福な町人らによる文化が花開いた京都で活躍し、その中で、『かわいらしさ』を楽しむことを主眼に置いた、新しいスタイルの水墨画を生み出しました。最大の特徴は、『単純化とデフォルメ』によって作り出された『やわらかな形』。以降、さまざまな『かわいい絵画』が誕生していくことになりますが、『単純化とデフォルメ』という宗達の流れを汲むのは、江戸時代中期、宗達と同じ京都で活躍した伊藤若冲です、『動植綵絵』のような細密な絵で知られる若冲は、その一方で、遊び心いっぱいの『かわいい』水墨画を数多く描き、軽やかで洒落た美を愛する京都の人々を楽しませたのです」。
宗達と同時代に、茶の世界で「繊細なかわいい絵画」を確立した松花堂昭乗の、ユーモラスで味わい深い「布袋・寒山拾得図」に、目を惹きつけられてしまいました。
伊藤若冲の「六歌仙図」は、雅な世界が現代のマンガのように表現されています。「歌人たちは皆、子供のような姿にデフォルメして描かれています。そして、雅なはずの彼らがなぜか、庶民的な『豆腐田楽』を作ったり、食べたりしているという意外な設定が、なんとも面白い一幅です」。
若冲の「雷神図」も、ユニークです。「『え、何の場面?』と思った方は、本を逆さまにしてみてください。これは、太鼓を持った雷さまが、真っ逆さまに落ちてくるところ。口をへの字に曲げた雷さまは、落ちる方向に懸命に目を向けているようですが、マンガみたいなその顔がとてもユーモラスです」。
与謝蕪村は、その「非プロフェッショナル」感覚が魅力です。とりわけ、「学問は(自画賛)」は傑作です。「頬杖をついて、気持ちよさそうに目を閉じる男性。腕をややこしく組んだままという無理のある姿勢ですが、居眠りとはこういうものです。よく見れば、机の上の書物は閉じられたまま。勉強を早々に諦めて本を閉じたのか、そもそも勉強をする前に眠ってしまったのか・・・。『ぎこちなさ』が持ち味の蕪村ですが、この絵の描写は実は見事。頭から喉にかけての丸みや、ささっと描かれた表情など、シンプルでのびやかな描写が集まって、全体の『のんびり感』が表されています」。添えられている賛は、「学問は尻からぬけるほたるかな」と読めます。
歌川国芳の「絵兄弟やさすかた」は、粋な女性に首根っこを押さえられた猫の表情が秀逸です。「首根っこを押さえられ、叩かれても鰹節を離さない執念といい、図太そうな面構えといい、なかなかの『どら猫』っぷりですが、そこがかわいい。『こんな模様の猫いるかな?』という虎模様(トラ猫)も、見る者に『どら猫:を連想させる仕掛けのひとつかもしれません。一筋縄ではいかない猫の『リアルなかわいさ』が見事に表れた作品です』。
愉快で、見応えのある画集です。