溜まりに溜まった鬱憤を一気に晴らしたい人に薦めたい『鉢かづき』・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1951)】
カマキリの幼虫をカメラに収めました。セイバンモロコシ(写真2)の穂が風に揺れています。サマーインパチェンス(写真3、4)、マツバボタン(写真5~7)が花を咲かせています。
閑話休題、『お伽草子超入門』(伊藤慎吾編、勉誠出版)では、多くのお伽草子が取り上げられているが、とりわけ興味深いのは、『鉢かづき』です。
「こんなに多くの作品が作られたというのに、今ではごくわずかな作品――たとえば『物くさ太郎』『浦島太郎』『一寸法師』『鉢かづき』『文正草子』『酒呑童子』等々――しか顧みられません。とても残念なことです」。
「お伽草子(室町物語)。これは、14世紀後半から17世紀前半までの約250年間に創られ続けた物語草子の総称である。概して短編であり、その釈文は現代の文庫本に当てはめるとおよそ数ページから40ページほどである。それが400種を越えて伝わっている。・・・ここで、ことあらためて提起する指標は『不思議』である。お伽草子の物語世界を捉える指標足りえる。『鉢かづき』もここに入れたい。・・・いつの世も、人は不思議に魅せられる。畏れ多いと思うと、念頭から離れない。お伽草子はその話題に満ちている。非現実の、超自然を語るファンタジーはいうまでもなく、現実世界の苦難、悲哀の人生をものがたるときにも奇跡、霊験、奇特、神変、妖気、怪異、奇異、災厄など、この世ならぬことが影を落としている。かつての人びとはあり得ることだとリアルに受けとめていた。まさに神変奇特があふれている世界なのである。・・・お伽草子の興趣を楽しむのに、まずは『不思議』を入口としてその物語を取りあげることにしよう。人間は時代を超えて不思議な話に惹かれるのであり、そこに宗教、文学、演劇、芸能、美術が揺籃している」。
「(『鉢かづき』は)なぜそれほどに人気を得たのだろうか。たとえば次の、他の継子物語には見いだせない場面である。実母が病で亡くなる前に、長谷寺観音の加護のしるしとして、姫の頭に大きな鉢をかぶせ、姫は異形と化す。やがて姫は、継母によって四つ辻に捨てられ、さまよい歩き、大川に身を投げる。猟師に救いあげられ、山蔭中納言の屋敷で風呂焚きとして働く。三男の中将が姫の気立てに惚れると、屋敷の女性たちは、二人の仲を知り、貶めようと嫁比べを催す。その直前に鉢は外れ落ち、姫はこぼれ出た美しい衣装をまとって登場し、才芸を披露する、といった展開は独自であり、読者は鉢かづきの薄幸に、霊験と奇跡に涙するのである」。私も、幼い頃、絵本『鉢かつぎ姫』(広川操一画、千葉幹夫・講談社文・構成、新・講談社の絵本)に涙した一人です。
「『鉢かづき』は、やはり不思議の物語と捉えるべき面がある。注目すべきは、鉢をかぶったその異形であり、また豊かな知恵である。・・・(中将の母・北の方は)子息の新妻たちを一座に集めて、鉢かづきを辱めようとしたのである。嫁比べは嫁合わせともいう。嫁たちに音楽や和歌の教養を競わせた。鉢かづきは、鉢からこぼれ出た衣装で着飾り、『気高くいつしく』『天人の影向』のごとくに登場し、『あたりも輝くほどの美人』であった。中将、北の方に用意した引出物は極上のものであった。管弦、和琴のわざは皆をうならせた。そこで、兄嫁たちは談合して歌の難題を課す」。一首詠むことを執拗に促された姫は遠慮して辞退するが、兄嫁たちはなおも責め立てます。已むを得ず、姫は秀歌を物して、一同を驚かせます。漸く、この場面に至り、私は姫と一心同体となり、溜まりに溜まっていた鬱憤を一気に晴らすのです。