処女性について考える――平安時代から現代まで、そして、これから・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2241)】
ホタルブクロ(写真1、2)、ジギタリス・プルプレア(写真3)、アイビーゼラニウム(写真4)が咲いています。ヨーロッパキイチゴ(ヨーロピアン・ラズベリー。写真5、6)が実を付けています。
閑話休題、『処女の道程』(酒井順子著、新潮社)で、とりわけ、興味を惹かれたのは、「『女の欲求』が見えていた頃」、「与謝野晶子vs平塚らいてう」、「『する自由』と『しない自由』の消滅」の3章です。
●「女の欲求」が見えていた頃――
「性的な面以外においても、鎌倉期の物語に登場する女性達は、なかなかに活発です。たとえば『平家物語』に登場する巴御前は、美女である上に大力の持ち主。幼な馴染みであり、恋人でもある木曽義仲と共に戦に向かい、一騎当千の兵(つわもの)と言われます。また『吾妻鏡』に登場する板額御前は、弓矢では誰にも負けない大女。やはり戦で大活躍するのでした。彼女達に静御前を加えて『三大御前』と言われているようですが、静御前は、前者二名のように強かったわけではありません。が、彼女は義経と行動を共にして、吉野山を右往左往している」。ここで、酒井順子に一言。静は、時の権力者・源頼朝夫妻の前で、叛逆者とされた愛する源義経を偲ぶ舞を堂々と舞うという精神的強さがあったことをお忘れですか?
「巴と板額、いずれ劣らぬ女武者だったわけですが、両者の最も大きな違いは、巴は非処女(たぶん)で、板額は処女(たぶん)というところです。巴は木曽義仲の彼女ですから、おそらくは義仲と『して』いたでしょう。信州の山の中で義仲と共に育っているのであり、ちょっとした娯楽感覚で、かなり若い頃から『して』いたかもしれません。・・・このように、処女性を珍重するとか、女は生涯一人の男としかしてはならないといった貞操の観念がそれほど強くなかったように思える、鎌倉時代までの日本。それは、性欲であれ武力であれ、女性の内奥から湧いてでる力を、躊躇なく表に出すことができた時代だったように思います」。
●与謝野晶子vs平塚らいてう――
「明治の終わり。女性が編集する女性文学のための雑誌『青鞜』が創刊されました。平塚らいてうが中心となって刊行されたこの雑誌は、明治44(1911)年から大正5(1916)年までの短い刊行期間ではありましたが、女性の文学史のみならず、日本の女性史に大きな足跡を残しています。・・・そんな中、らいてうについて周囲が気になって仕方がなかったのが、『らいてうは、<した>ことがあるか否か』という問題。すなわち、彼女が処女か非処女か、ということです。・・・らいてうの処女性に噛みつく人がいて、それが(らいてうより8歳年上の)与謝野晶子です。・・・晶子が熱烈な『処女の純潔』信奉者であるからです。・・・らいてうが独身であれば、処女でなければならぬ、というのが晶子の信念。・・・らいてうは、自分から初めての接吻をし、最終的にはその相手と『して』もいるわけで、性的好奇心は旺盛なタイプであったと思われます。おそらく晶子の疑念の通り、他の男性とも『して』いたのでしょう。・・・晶子にとって、らいてうの非処女疑惑が泣けてくるほど悲しいのは、だからこそ。高い教育を受けているあなたがなぜ、結婚前の性行為という非文明的なことをするのか、という義憤にかられたのでしょう。一方のらいてうからしたら、自分がしたいと思ったことを『した』だけのこと。らいてうにとっては、それがセックスであっても自分の意思に沿って『する』ことの方が進歩的な行為なのであり、そこに二人の大きな感覚の差があるのでした」。晶子とらいてうの間で争いがあったことは知っていたが、今回、その内容が分かり、すっきりしました。
●「する自由」と「しない自由」の消滅――
「私は、向田邦子の長編小説『あ・うん』の、ラストシーンを思い出すのでした。水田仙吉と門倉修造という二人の中年男性の友情を描いたこの小説の舞台は、開戦を控えた東京。水田夫妻の一人娘であるさと子の想い人である義彦は、特高警察に睨まれています。そんな中で義彦が召集令状を受け取ったことの報告のため、水田家を訪問。呆然とするさと子に、家に来ていた門倉は、『早く、追っかけてゆきなさい』『今晩は、帰ってこなくてもいい』と言うのでした。義彦を追い、転がるようにかけ出していく、さと子。特高に目をつけられて出征した者は生きて帰ることができない、と言われていた当時。門倉は、『さと子ちゃんは、今晩一晩が一生だよ』という言葉を、呑み込みます。この小説について山口瞳は、『昭和の反戦文学の傑作』と書きました。たった一晩であれ、若い娘が想い人と共に過ごすことは、つまり自分の意志で処女を捨てるということは、国に対する大いなる叛逆。だからこそ、さと子にとってその一晩は『一生』となったのです」。うーん、これは確かに優れた反戦文学ですね。