榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

私の好きな作品に抱いてきたイメージが木っ端微塵に打ち砕かれてしまった・・・【情熱の本箱(373)】

【ほんばこや 2021年8月24日号】 情熱の本箱(373)

挑発する少女小説』(斎藤美奈子著、河出新書)を読んで驚いたことが、3つある。

驚きの第1は、私は男なのに、度が過ぎた少女小説好きだと気づかされ、自分の男性度に自信が持てなくなったこと。

本書で著者が取り上げている9つの少女小説のうち、『小公女』、『若草物語』、『ハイジ』、『赤毛のアン』、『あしながおじさん』、『秘密の花園』、『大草原の小さな家』の7作品が既読であるだけでなく、『赤毛のアン』、『あしながおじさん』、『大草原の小さな家』に至っては、私の愛読書だからである。

驚きの第2は、私の好きな作品に抱いてきたイメージが、著者によって無残にも木っ端微塵に打ち砕かれてしまったこと。

斎藤美奈子は、バーネットの『小公女』は、魔法使いとの決別がテーマだという。「『小公女』は近代のお嬢さま物語だと申しました。比較の対象としてもっともふさわしいのは『シンデレラ』でしょう。おとぎ話の『シンデレラ』は屋根裏部屋の下女だった少女が急上昇して幸福をつかむ物語でした。『小公女』はお嬢さまだった少女が下女に急降下する物語です。『シンデレラ』では魔法の力でネズミが馬車を引く馬に変身しますが、馬車を奪われたセーラの屋根裏部屋には、ネズミの一家が住んでいた。まったく逆です。・・・(両者のちがいは)魔法使いが出てくるか否かです。・・・(最終的にセーラが幸福をつかむのは)セーラの逆境に負けない強い意志と毅然とした態度だった。そしてラムダスとの交流のキッカケは、セーラが身につけていたヒンドゥスターニー語でした。自らを救うのは、志の高さと教養である、というメッセージを『小公女』は放ちます。・・・魔法の力を借りなくても、人の力で道は開ける、美貌の力で男に選ばれるだけが物語の上がりではないと、『小公女』は主張します。魔法使いと決別したところから、物語は、いや人生ははじまるのです」。

オルコットの『若草物語』は、男の子になりたいという思いを貫いた、マーチ家の次女ジョーことジョゼフィンの奮闘物語だというのである。「たとえ思い通りに行かずとも、ジョーはいつも与えられたジェンダーに抗いながら、自分の道を自分で切りひらいてきた。読者はそこに自分を投影する」。

モンゴメリの『赤毛のアン』は、女の子らしさを肯定する少女の戦いの物語だというのだ。「一見すると『赤毛のアン』は、元気で快活な女の子が次々おもしろい事件を起こしながら成長していく物語に見えます。しかし、はたしてそれだけか。少し引いた視線で眺めれば『赤毛のアン』は、みなしごの少女が自身の居場所を確保するための戦いの物語。よりカジュアルにいえば一種の『就活小説』です。・・・アンはけっして天然のおてんば少女ではありません。意識的にか無意識にか、生きるためには何が必要で、誰を味方にすべきかを、彼女は知っていた。『家活』『地活』『友活』によって、健康的で文化的な最低限度の生活を営むための環境をアンは自ら勝ち取った。その意味で『赤毛のアン』はやはり戦う少女の物語なのです。しかし半面、アンは、美しいもの、ロマンチックなものが大好きです。換言すれば、彼女は少女趣味の少女、女の子アイデンティティの高い子なのです」。

ウェブスターの『あしながおじさん』は、金持ちの道楽息子が小娘に翻弄される物語だと喝破している。「オードリー・ヘプバーン主演の映画『マイ・フェア・レディ』をご存じでしょうか。この映画の原作はバーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』です。音声学を専門とするヒギンズ教授が、下町育ちでなまりの強い花売り娘イライザを完璧な貴婦人に育てるという、あのお話です。ヒギンズ教授がイライザを拾ったのは仲間と賭けをしたからでした。(あしながおじさんこと)スミス氏の思惑も教授とほぼ同じだったはずです。孤児院育ちのイノセントな少女を教養のある一人前のレディに育てる。孤児院には恩を売れるし、本人には感謝されるし、むろん立派な慈善事業だし、ヒマな金持ちにとっては最高の道楽です。文才のあるジュディに白羽の矢を立て、手紙を書くことを課したのも、道楽の価値を上げるためでしょう。手紙は彼が投資の成果を知る手段ですが、どんなに成績優秀でも、杓子定規な文しか書けないクソまじめな子では、娯楽の価値は半減です。その点、新しい環境での驚きと喜びが生き生きと表現されたジュディの手紙は、相当おもしろかったはずです。よしよし、ワシの選択は正しかった。・・・ジュディの側から見れば、『あしながおじさん』は女子大生の成長の記録であり、楽しい大学生活案内です。が、ジャーヴィス(スミスの本名)の側から見ると、これは金持ちの道楽息子が小娘に翻弄される物語です」。

ワイルダーの『大草原の小さな家』シリーズの「前半(1~3巻)は『男親の夢に家族がつきあわされる物語』でした。一転、後半(4巻~)は『女親の夢に家族がつきあわされる物語』です。どっちにしても、子どもたちに発言権や決定権はないことに変わりはない。・・・(ローラは)身勝手な両親と優秀な姉の犠牲になったのではないかという疑念が拭えません。活発で好奇心旺盛とはいえ、少女小説の超個性的な主人公たちに比べると、ローラはわりと地味な子です。親には逆らわないし、自分の夢もべつにない。でもそれは周囲が彼女の可能性を奪った結果ではなかったか。・・・インガルス家の人々は誰も、ローラを父や母や姉の犠牲にしたとは思っていなかったはずです。だから愛情に縛られた家族はこわいのです。18歳ではじめて自分に意思を通したローラには、ひとまず『よくやった!』という賛辞をおくるべきでしょう」。

驚きの第3は、20年前に書いた論考という小さな種子から、本書のような大輪の花を咲かせるとは、斎藤美奈子は只者ではないと思い知らされたこと。