劉備が死去し、長男・劉禅が跡を継ぐ。孔明自らが益州・南蛮討伐に向かう・・・【山椒読書論(592)】
横山光輝のコミックス『三国志』(横山光輝著、潮出版社、希望コミックス・カジュアルワイド、全25巻)は、羅貫中の小説『三国志演義』→吉川英治の小説『三国志』の流れを汲んでいる。
「第19巻 孔明の南蛮行」――。「(呉に大敗した)曹丕は無念をのみながら魏へ引き返さざるを得なかった。これより呉と義は不和となった」。
「白帝城に逃げ込んだ(劉備)玄徳は。それから体の調子をくずしていた。(孔明の反対を押して攻め込んだ)呉に大敗し、蜀の将兵の多くを失った心労が大きな原因となっていた」。
「丞相(孔明)に一つ頼みがある。もし(太子)劉禅が帝たる天質を備えているものならば、よく助けてやってもらいたい。しかし帝王の器でない時は、丞相、君は自ら蜀の帝となって万民を治めてもらいたいのじゃ」。「黄巾賊の乱を見、戦火にあえぐ万民を見て、乱世の終息と漢室の復権を志して立った劉備玄徳だが、その志なかばにして、この世を去った。章武3年4月24日であった」。「孔明は玄徳の葬儀を終えると、(17歳の)太子劉禅を皇帝の位に即かせ、年号も建興元年と改元した」。
「玄徳の死は、たちまち義と呉に伝わった。玄徳の死をもっとも喜んだのは魏帝曹丕であった」。「なるほど、鮮卑や南蛮、呉まで駆り出すのか。仲達、見事じゃ。直ちにその方針をとれ」。しかし、「こうして、魏の五路侵攻作戦は失敗に終わったのであった」。
魏は呉に大敗する。「この時の魏の損害は、曹操の赤壁の大敗に匹敵するものであった。呉の孫権は大戦果に狂喜」。
「その頃、蜀にも一大事が起こっていた。南蛮王の孟獲が10万の軍勢をもって益州南方に迫ったのである」。「なにっ、南蛮討伐に丞相自身で参ると」。「孔明の行動はすばやかった。直ちに50万の兵を集め、益州南部へ向かった」。孔明の策が功を奏し、益州平定に成功する。「それからまもなく、孔明は不毛の地、疫病の国といわれる南蛮の地深く進軍を開始したのである」。その陣中に、劉禅の使者として馬謖がやって来る。「この頃、馬謖はすでに蜀において、その秀才ぶりをうたわれていた」。