榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

著者自らが痛感する阿呆さ加減を、かくす所なくさらけ出した生活記録・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2358)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年10月1日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2358)

ハロウィーンが近づいてきましたね。

閑話休題、私の好きな句「おそるべき君等の乳房夏来(きた)る」の作者・西東三鬼(さいとう・さんき)の私小説というか、興味深いエピソードに焦点を絞った生活記録というか、それらを収録した『冬の桃――神戸・続神戸・俳愚伝』(西東三鬼著、毎日新聞社)を手にしました。

これほどはちゃめちゃな男がいたのかと驚かされると同時に、どのエピソードからも哀感が漂ってきます。

「昭和十七年の冬、私は単身、東京の何もかもから脱走した。そしてある日の夕方、神戸の坂道を下りていた。街の背後の山へ吹き上げて来る海風は寒かったが、私は私自身の東京の歴史から解放されたことで、胸ふくらむ思いであった。・・・それは奇妙なホテルであった。神戸の中央、山から海へ一直線に下りるトーアロード(その頃の外国語排斥から東亜道路と呼ばれていた)の中途に、芝居の建物のように朱色に塗られたそのホテルがあった。私はその後、空襲が始まるまで、そのホテルの長期滞在客であったが、同宿の人々も、根が生えたようにそのホテルに居据わっていた。彼、あるいは彼女等の国籍は、日本が十二人、白系ロシア女一人、トルコタタール夫婦一組、エジプト男一人、台湾男一人、朝鮮女一人であった。・・・しかし、そのホテルに下宿している女達は、ホテルの自分の部屋に男を連れ込む事は絶対にしなかった。そういう事は『だらしがない』といわれ、仲間の軽蔑を買うからである」。

「神戸トーアロードの奇妙なホテルに居を定めた私は、一ヶ月も経たないのに、一人の女と一夜を共に過し、それが発端で、戦争が終って日本が被占領国になってもまだ結末がつかず、とうとう前後四年間一緒に暮したのであった。その四年間の、彼女とのおつきあいは、戦争を別にしても、私の精神を摺りへらす歳月であった。・・・波子という女との邂逅は、どうも何者かが彼女をぶら下げて来て、私の前にドサリと落したように思われてならないのだ」。

「波子が横浜を一足でも遠く去りたかったのは娼婦が初めて経験した恋愛に敗れたからであった。・・・東京の過去から逃げ出した私と、横浜の記憶から飛び出した波子は、かくして神戸の奇妙なホテルで邂逅したのだ」。

「こうして私は、この心肝深く傷ついた娼婦と、戦争の最中の三年、戦後の一年を共に暮らしたのであるが、私のおせっかいの、何とかして彼女を守護しようという殊勝な決意も、少女時代から浮世の辛酸を舐めつくして来た彼女には、ただただうっとうしく、愚劣にみえるらしかった。その一方で、彼女が最も惧れたのは、彼女の言葉で言えば『情が移る』事で、私を愛し出してはならないというのが、波子の固い決心であった」。

読み進めると、「私」が東京を逃げ出してきた理由が、明らかになります。私には妻と一人の子があったのに、「私は女の人に頼まれて、その人に子を産ませたのだ。・・・私は断われない人から頼まれて子を産むことに協力したために、難儀はこれからスタートを切って、今日まで続くのである。・・・絹代は今は私の家人であり、祈願されて産まれた子は中学一年生である」。

さらに、私がこのように「頑強に事実だけを羅列してい」る理由も明らかにされています。「ようやくおぼろげながら判って来た執筆の目的は、私という人間の阿呆さを公開する事にあるらしいのである。だから、私のくだくだしい話の数々は、何人のためのものでもなく、私にとっても恥を後世に残すだけの代物である。しかし私は、私が事に当るたびに痛感する阿呆さ加減を、かくす所なくさらけ出しておきたいのである」。呆れるべきか、喜ぶべきか、この著者の目的は、ものの見事に叶えられています。