榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

兼好の「ひとりこそよかれ」、良寛の「ひとり遊び」という生き方・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1639)】

【amazon 『古典つまみ読み』 カスタマーレビュー 2019年10月13日】 情熱的読書人間のないしょ話(1639)

台風一過の下、母の93回目の誕生日を祝うため、一族郎党が東京・新宿の料理店に集まりました。頭も体もぴんとしていて、毎日、好きなことをして人生を謳歌している明るい母は、私の老後の理想像です。ハロウィーンが近づいてきましたね。因みに、本日の歩数は10,422でした。

閑話休題、『古典つまみ読み――古文の中の自由人たち』(武田博幸著、平凡社新書)からは、味わい深い古典を読む楽しさが伝わってきます。

とりわけ印象深いのは、「『徒然草』――兼好法師の交友論」と「『良寛全集――『ひとり遊び』の精神』の章です。

「兼好法師は<まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよかれ>と言い、また、<縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせん>と言います。・・・こういう言い方で兼好法師は何を言っているのでしょうか。俗世に背を向けよとかそんなことを言っているのでは決してないでしょう。兼好法師の言わんとするところ、それは、世間を生きてゆく中で、人々とさまざまな交わりを持つ中で、世間(的価値)に同化してしまう人間になってはならない。言い換えると、世間に対しある距離を置いて自分自身を保持するように常に努めなくてはならない、ということだと思います」。

「私は、『古典の中の自由人』というテーマで、いくつかの古典の作中人物や作者の心のあり方について述べてきましたが、『徒然草』を二度三度読み返すうちに、『これぞ自由人』という人にようやくほんとうに出会った気がしました。兼好が30歳の頃、出家遁世したのは、世をはかなんだわけでも何でもなく、わが自由を確保しようとしてのことだったと私は確信します。<朝夕君に仕へ、家を顧みる営み>(58段)から解き放たれた遁世者であることが、あの時代にあって最も自由人であり得たのです。『徒然草』の中で何度も<諸縁放下><直(ただち)に万事を放下><いとまある身になりて、世のことを心に懸けねを、第一の道とす>といったことを兼好法師は繰り返し言っています。それらは私には、世間的価値に埋没するなかれ、世間に魂を売り渡すな、迷妄の中に夢見ることをやめ、覚悟した己の精神の自由を常に確保せよと言っている言葉に他ならないように思われます」。

「良寛が日々どういう覚悟で生きていたかをよく分からせてくれるのは、有名な次の書簡です。1600人余りの死者を出したという文政11(1828)年の越後三条大地震の後に、友人山田杜皐(とこう)に宛てたものです。<地しんは信(まこと)に大変に候。野僧(=私)草庵ハ何事なく、親るい中、死人もなく、めで度存候。・・・しかし、災難に逢(あふ)時節には、災難に逢がよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ>。これはただ運命に身を任せるという徹底して受動的なあり方のようで、その時その時目の前に立ち現れたものに、全身全霊で向かい合うという生き方ではないでしょうか。今日も死なずに生きていて美しい花を見ることができたなら、喜びの讃歌を歌い、はたまたわが身を滅ぼす災難に遭遇したときにはその悲運に従う他はない。それが良寛の言う<任運>ということではないかと私には思われます」。

「私は良寛の歌の中で特に次の歌に心ひかれます。それは、行灯の前で本を開いている良寛と思われる人物の画像に添えられている歌です。絵は良寛の友人の山田杜皐が描いたと考えられています。<世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞわれはまされる>。杜皐の祖父と良寛の祖父は兄弟で、杜皐は友人というだけでなく身内の間柄でもありましたから、良寛に気軽に尋ねたのでしょう、『あなたはどうして世の坊さんと同じように住持になろうともなさらないのか』と。それに良寛は上の歌で答えます、『結局、自分は<ひとり遊び>が好きだったのだよ』と。良寛は出家を決意したその日から、自己の本質に立ち返ったところで生きようと心に深く誓った人であったと思います。言い換えれば、自己の本質を見失わず、己が精神が自由に伸びやかに保持されることを求め続けた人だと思います。羞恥の人であった良寛は、世の束縛を嫌い、身も心も自由を求めてやまなかった自分の生涯にわたる行為を『ひとり遊び』という言葉で表したのではないでしょうか」。

著者の解釈に深く頷けるのは、私が企業人時代を卒業して、自由を満喫しているからでしょうか。